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50代。離婚。就活。子供たちのことで悩み苦しみ。そこから激変した思考の癖。

2024年6月24日。
やっと決まったと思えた就職活動。
その後企業から連絡がないなとウズウズ待っていたら、突然「雇用形態について話したい」とメールが届き、「なんでそうなるのっ!」と萩本欽一になって横っ飛びを連発するくらい驚いた。

読んだ瞬間は腹立たしさも感じたし、絶望感に打ちひしがれ、断崖絶壁で荒波を被りながら「なんだよ、バカヤロー!」と叫びたくなったが(あれ?なんか荒井注が混じっている)、すぐに「まあ、なるようにしかならないか。当初の労働条件以外の展開になったらまた他を探そう!」と明るく気持ちを切り替えることができた。
この週末ものんびりと好きなDVDを鑑賞したり、アマプラで昔のSEX AND THE CITYを観て懐かしんだり、近所に散歩に行ったり、母と電話で他愛もない会話をして楽しんだ。
昔の私だったら結構立ち直れなかったはず。

本日社長と話し、「正社員以外の雇用形態であれば労働契約は不一致です」的なことをダイレクトにお伝えしたところ、すんなり当初の雇用形態と労働条件で、すぐに書面をいただくことができた。メールのやり取りでは頑なに「契約社員」を押してきたので、もう少しキャッチボールがあるかと思っていたからちょっとびっくり。
そして感じた、なんだか社労士がなにかごちゃごちゃ言っていた雰囲気。
うーむ、最終面接後のやり取りで「顧問社労士と労働条件通知書を準備して、改めてご連絡いたします」の後からなんだか展開がおかしくなったと思っていたのだが、お前かー!!!社労士めー!(握ったゲンコツに血管がめりめりと浮き上がる)

本日のお昼ごはん。
ベーグルにかぼちゃの冷製スープ、
茄子のトマト煮込み、
ルッコラとアスパラガスのサラダ。
昨年買ってからそのままになっていたワインも開けちゃった!
調子に乗りすぎか?

うろ覚えなので要所要所違っているかもしれないが、つらい気持ちが心に溢れた時にいつもこの話を思い出す。

お釈迦さまのところに、やっと歩き始めた可愛い盛りの息子を亡くした女性が、深い悲しみに打ちひしがれてやってきた。子供が亡くなる前に夫も突然亡くなっている。
息子の亡骸を抱いたまま、「なぜ私だけがこんな目に合わなくてはならないのか。私にとって唯一の肉親でもあった子供を、どうか生き返らせて欲しい」と懇願するのだった。

するとお釈迦さまは、「まだ死人の出ていない家から芥子の種をもらってきたら、それを薬の材料にして生き返らせよう」と仰った。
彼女は子供の亡骸を抱えたまま血眼になって死人の出ていない家を探し回るのだが、どの家も家族を亡くしたことのある家ばかりであった。
人はいつか亡くなること、誰もが悲しみや苦しみを背負いながら生きていることを知り、いっときも離すことのなかった子供の亡骸をそっと葬るのだった。


この話を知ってから、「なぜ私がこんな目に遭わなくてはいけないのか」「自分ばかりが不幸だ」という考えは、秒速で宇宙の彼方に吹き飛んだ。
ははは、どうもどうも、単純なもので。

それから、
・日々流れていく時間の中に幸福を見つけて楽しむこと
・嫌なことや問題が起きたらそれを面白がること
・何かを失ったらこれまで私と共にあったことに感謝をすること
・思い通りにならない時は執着を手放すこと
・年齢=人から愛や時間(命)をもらった年月だと認識すること
が勝手に身についた。


「一難去ってまた一難」ではなく、「一難に追加でまた一難」が6年程続いた。「今の悩みは一年後には無くなっている」なんて嘘じゃないか。問題解決に向けて全力で頑張っているのに、その間にまた違う大きな課題がやってくる。真面目に生きているのになぜ・・そんな思いでいっぱいだった時期もあった。
若い人や素晴らしい功績を残す人、多くの人に慕われた人、そんな人が亡くなって私が生きている不思議。生きることがこんなにも苦しいなら・・と思ったこともあったが、いざとなると最後まで実行に移せない自分を情けなく思った。

いつになったら抜け出せるのかと試行錯誤を繰り返し、変えることのできない状況をどう受け止めれば楽なのかを考え、そして徐々に無駄な力が抜けていった。
苦しい経験がなかったら、小さなことにも腹を立て、どうやったら他人に認めてもらえるのかを考え、自分の考えが一番正しくて、もっともっと色々なものを欲しがって、生きづらさを抱えて満たされない心で生きている、今よりも浅ましい嫌な人間だったのではないかと思う。
お釈迦さまを訪ねた女性のように、様々な経験をしたことで感謝が本物になり、自分の人生がどんな時でもずっと輝いていたことを知ったのだ。

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étoile|50代。人生立て直し中。
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