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継続に対してのシンプルな解

はじめに


継続することは大体の人が苦手である。

継続するコツ 坂口恭平



しかし、この本を読んだときに、「継続することってなんだ、こんなもんなのか」という驚きがあったので、今回共有したいと思う。


そして私の考える継続についても考えていきたいと思う。




継続することが幸福


幸せとは自分が興味のあることを今も継続できていることである

わずかこの本の4ページ目のところに結論が書かれている。

本を書いたり、絵を描いたり、音楽をやっていたり、みんなそれぞれに自分が得意なことをやっていたのですが、結果が思わしくないことで、落ち込んだりして、やめてしまっているのです

僕はいつも、もったいない!と思ってしまいます。だって、作っている時の方が楽しいですもん。


確かに言われてみればそうだ。
子供の頃は私も絵を描いたり本を読んだり、ピアノを弾いたりすることが、ただ単純に楽しくて続けていた。

しかし大人になって続けているものは、ほんの少しである。

何故かと言うと、現実を突きつけられるからだ。

自分より本を書くのが上手な人はたくさんいる。
絵を描くのが上手い人もいる。
ピアノだって限界までやったところでプロにはなれないとわかっている。

昔は単純にそれ自体を楽しんでいて、継続して続けていたのに、今ではぱったりとやめてしまったのだ。

大人になると、「これは意味のあることなのか?無意味なのか?」とすぐに考えてしまう。

「自分にとって利益のあることなのか?利益がなければやっても意味がないことなのか?」
「時間は限られているから、時間を有効に使え」
「無駄な時間を過ごすな」
「時間」「時間」「時間!」。

子供の頃には考えられなかった時間の有効活用を。大人は常に考えている。

しかし子供の頃を思い浮かべて欲しい。
時間に追われていたという感覚はあっただろうか?

常に今のことに夢中で、ただやりたいことをやって、それが意味のあることなのかないことなのかを関係なく、楽しんでいたのではないだろうか。


実はみんな何かを継続している


まず小さい頃であれば、絵や歌をみんな作っていましたよね。今もみなさん、食事を作っていますよね。洗濯物を畳むのだって立体を作っているんです。

お金になる、ならないは関係ありません。そんなことどうでもいいです。作っている人は作っていることが楽しいはずですから。しかし、人は少しずつ作らなくなっていきます。昔は作っていた。でも今は……という人も多いのではないでしょうか。

「私、何かを継続するのって苦手だから・・・何でもすぐにやめてしまうんだ」
なんてことはよく聞く。
しかし人は何かを継続していると著者は言う。

確かに考えてみたら、生きている限り何かを継続しているはずである

毎日起きることを継続できているし、歯を磨くことも継続できている。
食事を摂ることも継続しているし、仕事に行くことだって継続できている。

私たちは日々を生き、生活している時点で、もう何かを既に継続しているのだ。

こんな当たり前のことに気づかずに、「私は継続が苦手だから」とか言う人々。

なんだ。もう継続してるじゃん。
そんなことを感じるだろう。

「継続」と聞くと、大それたことを継続するイメージになってしまう。

健康のために毎日運動を継続しよう。
ジム通いをしよう。食事を3食しっかり食べよう。
語学学習を継続しよう。1日に1回瞑想しよう。

しかしこれらの目標を立てたところで続くのだろうか?
続かないことが多いのではないだろうか。
それはなぜだろうか?

それはその継続する行為自体が、幸福を感じられていないからだ。

もちろん目的があって、それを達成するための目標を立てるのは大事なことである。
しかしその目標が自分にとって辛いものであったら継続できない。

継続するコツは、いかに継続すること自体が楽しいかどうかにかかっているのだ。


作ることそのものを楽しもう


元々は、
作ることが好き→だから作る
だったはずですが、
今では
才能がある→だから作る
才能がない→だから作らない
こうなってしまってます。しかも、才能がない、ということを自分で決めてしまってます。

才能ってなんだろう?
もともとその分野においてセンスがあるとか、人より秀でてているとかだろうか?

しかし、そんなものは一握りだ。
そんな一握りのもののために継続を諦めてしまうのだろうか。
ただ単純に自分の好きなことを自己満でもいいから、やり続けるのが本当の幸せではないだろうか。

これはたびたび、ものを書き続ける私も痛感した。

良いものを書こうと思えば思うほど、人と比べて落ち込んだりする自分がいた。

よく考える。
私は「何かを書くこと」自体に喜びを感じている。
それは子供の頃からずっと変わらない。
ではそれでいいのではないか?

誰がなんと言おうと関係ない。
だって自分がどれだけ頑張ったって超えられないものはあるから。

だから、自分が楽しいものを・・・私であれば「書く」という行為そのものを楽しめば良いのではないだろうか。

それがうまくいっても、駄作であろうとも関係ない。
とにかく私は書き続ける。
それが継続であり、継続するコツになるのだ。

楽しいことだから、人と比べることなく思いのままに継続できている。

考えてみればそうだ。
朝起きることや歯を磨くこと、ご飯を食べることを、普段人と比べて意識しているだろうか?

していない。
だから継続できているのだ。
こんな単純なことにどうして今まで気づかなかったのか。


続けていると、質を求めてしまう


僕は絵を毎日1枚描いています。とにかく毎日1枚書くんです。なぜなら面白いからです。描いたら、新しい絵がまたこの世に生まれるじゃないですか。僕には2人子供がいますが、やっぱりこれまで存在しなかった生命が誕生するのって驚きですし、すごいことです。

絵もまた同じなんですね。これまで存在しなかったものが生まれるんです。これ自体相当すごいことだと僕は思うのですが、描いていると、少しずつ慣れてくるんですね。

誕生すること自体の驚きが減っていくんです。これは避けることができません。どうしても人は慣れていきます。

何かを自分から作り出す行為は、実はすごいことである。
受け身ではなく、発信活動をしていると、受け身の状態より何十倍の経験と学びが得られる。

しかし物事には必ず慣れがくる。
ただ楽しくてしていた行為そのものがだんだん慣れてくる。

そうすると、どうなるかと言うと、「自分はもっといいものを生み出さなきゃ」という向上心が生まれてしまうのだ。

継続することを、ただひたすら楽しんでいたのに、慣れてくると、それ自体が楽しいということを忘れ始めるのだ。

そうなると、自己否定が始まる。

私であれば、ただ単純に文章を書くことが好きなのに、その文章を書くこと自体に慣れてしまい、「この文章はあんまりうまく書けないなぁ」とか、「この文章のここの部分はあまり良くないな」といい勝手な自己否定が始まるのだ。

そしてついに落ち込む。「自分はたいした文章を書いてないなぁ」なんて。

こうなってしまうと、もう継続が難しくなる。
「もっと良いものを作らないといけない」なみたいな、勝手な精神状態を作り上げてしまって、喜びがなくなってしまうのだ。

そして、継続をやめてしまう。
こうして、人は継続することが難しくなってしまうのだ。

「これをやったって、別に自分の評価が上がるわけでもないし、お金になるわけでもないし。」

大人の悪い考え癖だ。
「これは意味のあること?」

結局継続するコツとは?


実はやりたくないことを継続しているのではないだろうか?
それが私たちの生活のルーティンの中に無意識に組み込まれてしまっているのではないだろうか。

やりたいことを好きなことを継続してみる。僕が経験を通じて感じてきたのはそれさえできていたら、実は幸福なんじゃないかってことです。

もし何か継続できないで悩んでいるとすれば、もしかしたらそれは本当に自分が心から継続したいものではないかもしれない。

だって好きなものは継続できるはずだし、必要なものもまた、今自分が生きるために継続しているはずだからだ。

継続できないものは、自分にとって楽しくないし喜びを感じられないもの。
つまり幸福ではないというにつながっているのかもしれない。

結局継続するコツは、自分がワクワクすることを人と比べずにやること

たったこれだけのシンプルなことであるのかもしれない。

おわりに


今年ももうすぐ終わる。

今年の初めに立てた目標は、今でも継続できているだろうか?
きっとその目標を今でも続けている人は、少ないのではないだろうか。

そろそろ来年の目標を立てる時期に入る。
そんな時にはぜひ継続するコツを思い出してみて欲しい。

継続とは幸福を感じるものである。

これを心に留めて、来年の目標をぜひ立てていただきたい。そして私も同じく自分に言い聞かせて継続を続けていきたい。


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