パイドン 古代ギリシアにて
紀元前399年3月。アテナイにある石牢。いつものように裸足の先生は、先ほどまで友人らと、「死の練習」について話をしていました。「死の練習」とは、肉体を捨ててロゴス(論理や言語)だけになることです。しかし、それは、難しいことでした。肉体と魂の分離である本当の死を別にすれば。先生は、良き希望なのだとおっしゃいました。が、ピュタゴラス派のとケベスがそれに異議を申し立てて、結局議論は行き詰まりになってしまいました。今、先生は、沐浴を済ませ、ベッドに腰掛け、大きなその石工の手で私の頭を撫、それから首周りの髪を掴んでおっしゃっいました。
「パイドン、君はこの髪を切らなくちゃならないね」
髪を切るとは、喪に服することを意味します。でもそれは、ご自分の処刑の話ではなく、先ほどの議論を行方のことでした。みんなもそれはわかっていましたが、それを聞いてアポロドロスは声を上げて泣き始めました。アポロドロスはいつだってこんな風なのです。他の者も、声こそ上げなかったが、涙を流していました。
僕は泣いていませんでした。僕だけが、「死の練習」をできていたからです。かつて僕は、奴隷で男娼でした。それは人気があったものです。引っ張りだこの僕は、夜毎大きな饗宴に呼ばれていきました。僕の目の前では、肉体を主人とする人々の饗宴が繰り広げられていました。僕は肉体をそこに残し、魂だけになってロゴスの中に逃げ込んで、それをやり過ごしていました。
ある時、アテナイの有名人である先生は、僕が招かれていた、富豪カリアスの饗宴にやってきました。2人は友人だったのです。先生の議論はアテナイでも随一の評判でした。その夜も、弁論家たちをきりきり舞いさせて、居合わせた客たちを大いに楽しませていました。すっかりご機嫌になった先生は、ご馳走を大いに食べ、上等のワインをたらふく飲んでいました。僕は、偶然にもその隣に座っていましたので、今の論議について、控えめに意見を述べました。すると先生は目を輝かせて、僕と対話を始めました。僕たちはあまりに夢中になったので、僕は男娼としての給仕やその他の雑事をすっかり忘れてしまいましたし(僕は大変人気のある男娼だったのでそれくらいのわがままは許されていました)、先生はワインを飲むのも忘れていました。
宴が終わる頃には先生は僕の境遇に気がつき、僕の魂を救うべく、親友で金持ちのクリトンにお金の工面を頼んでいました。クリトンもまた親友の先生の議論を聞きにこの饗宴に来ていたのです。そうやって先生は、僕を同志として救い上げてくれたのでした。
そう、僕だけが、本当の意味で先生とロゴスを共にすることができるのでした。泣きじゃくるアポロドロスは言うに及ばず、テーバイから来たシミアスとケベスも実際の死を前にして当惑していました。僕の恩人で、立派な男であるクリトン。彼の立派さも、ロゴスから来るものではなく、良い習慣からくるものでしたから、悲しみのうちに沈んでいました。
「やれやれ、私は君たちを説得できなかったようだね」みんなの様子を見た先生は、イタズラっぽく、僕を見て片目を瞑ってみせました。
「私は、ずっとアテナイで暮らしてきた。今更アテナイの法律の定めから逃げ出そうとは思わないよ。今まで私たちが議論してきたことを台無しにしないためにね。不正に対して不正で応えることは正しいことではなかったはずだよ。大切なのは、ただ生きるのではなく、善く生きることなんだよ」
先生は言い終わると、それでもうすることはみんな済んでしまったとばかりに、上等のワインでも飲むようにして処刑用の毒杯を飲み干しました。死刑執行人は、先生に部屋の中を歩くように言いました。言われるままに部屋の中をゆっくり歩き回った先生は、しばらくすると足が重くなってきたと言ってベッドに横になりました。先生はもう目を開けることはできませんでしたが、クリトンに、隣の家の男に借りを返してないので代わりに鶏を3羽返しておいてくれと頼みました。クリトンはいつもするようにそれを快く引き受けました。そして、もう先生は何も言わなくなりました。魂が肉体を離れたのです。
僕の頬に熱い涙が一筋流れました。ああ、でも先生!僕は今、あなたという人生で最良の道連れを失ったのです。そうして、僕は魂から泣いたのです。
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