「蒔 萌ゝ子(まき ももこ)」とは2。私にとっての光の名である。
また、蒔萌ゝ子とは、である。
蒔萌ゝ子として書いているうちに、名前を依頼した意味がわかってきた。
この記事に書いたが、
それだけではない。
ずっと目の前にあった(今もあるが)光に名前が欲しかったのである。
幼少期から目の前に光があった。
イメージとしては、真っ暗な中に遠くに小さい光。
何歳くらいからだろう?
それはそこにあった。
真っ暗なトンネルのすごい先に明かりがあるような感じ。
大きくなることも小さくなることもなく、遠くなることも近くなることもなく。
一定の距離でずっとあった。
今思うと、ずっとその光を見て進んできた。
誰のことも信じていなかった。
肉体を持った自分自身でさえも。
その光だけは信じられた。
その光は私のすべてであった。
ある時光は消えた。
何年前であろう?
内観を始めたくらいからだ。
はじめは光に見捨てられたように感じた。
しかし違っていた。
追いついたのだ。今は同じ位置にいる。
今はわかる。
その光は私の魂である。
魂に名前があると言う人、ないと言う人、様々である。
あるかもしれないし、ないかもしれない。
私にはわからない。
ただ魂は存在する。
今は魂は案内人だと思っている。
自身の根源に向かうため、あるがままへの道案内人。
その案内人に名前をつけたかったのである。
同じ位置に追いついた。
いつも先にいた。
今は同じ位置にいる。
これから肉体が朽ちるまで共に歩き続ける同志。
2年前、そんなことは思っていなかった。
だが、今はわかる。
案内人にはわかっていた。
必ず一緒に歩きだすことが。
その時表に出るために名前が必要であった。
生まれた時にもらった名前で進み続け、名もなき光の後に進んできた。
同じ位置にたった今、見える世界と見えない世界を表現するのには肉体を持った名前では無理である。
それを可能にするのが、「蒔 萌ゝ子」である。
「蒔 萌ゝ子」は私にとっての魂のま名前である。
終わりなき旅をするための同志の名。
あらためて、名前をつけてくださった方に感謝である。
無理を聞いていただき、ありがとうございます。
終わりなき旅はまだ始まったばかり。
過去を今に融合しながら進んでいこうと思う。
どんなに高い山でも、必ず頂上にたどり着ける。
蒔萌ゝ子の思いを、肉体を持った私が表に出す。
長くかかったけれど、自分らしく挑戦していきたい。
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