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生きるのが不器用な大学生(自己紹介)

はじめまして。しゃりんと申します。

今年で22歳になる大学3年生。家政系の学科で管理栄養士の資格を取得するために勉強中。

…だったのだが、
適応障害を患い、昨年の10月から大学を休学している。過去にも摂食障害を患った経験があり(後述します)、メンタルに振り回される人生を送ってきた。とてもとても、生きることが不器用な人間です。よわよわです。

ずーっとnoteは見る専だったものの、自己開示の練習のために(年も明けたことだし)始めてみた。

この記事では、これまでの経歴を振り返ってしゃりんという人間について紹介します。SNSでの発信が初めてなので、読みづらいところもあるとは思いますがご容赦ください。


経歴

幼少期〜小学生

出身は九州の片田舎。転勤族だったものの、幼稚園年長の時に現在の実家に落ち着いた。
大らかな両親のもとでのびのびと育ちました。歳の近い姉がいるので、基本的に姉にくっついて遊んでいたと思います。同学年の友達より姉の友達と遊んでた。

学校では専らインドア派で、休み時間は速攻図書室に駆け込む子どもでした。
小説が大好きで、空想を膨らましては自分で物語なんかも作ってた。この頃ハマってたのは『黒魔女さんが通る‼︎』と『妖怪アパートの幽雅な日常』。懐かしい…。

特段好きではなかったものの、勉強は真面目にしていた。そのおかげで「優等生」ポジとして認識されることが多かったと思う。

人生で一番自我が安定していた時代です。

中学生

そのまま地元の公立中学校に進学。吹奏楽部に入ったり、気になる人ができたりとそれなりに楽しんでいた。

そんな中、中学2年生のときに転機が訪れます。冒頭にも少し触れましたが、摂食障害の一つである「神経性やせ症(いわゆる拒食症)」を患ってしまいました。

元々3食の食事を至上の楽しみとするほど食べることが好きな私だったが、みるみる食事量と体重が減っていった。そのうち学校にも行けなくなるほど憔悴し、入院を余儀なくされた。
退院した後もなかなか寛解することはなく、食事や体重に振り回される毎日。
それでも、ここで今の自分に繋がる目標と呼べるものができた。ずばり、「管理栄養士になること」である。
食べることが大好きな私にとって、摂食障害という病気は本当に苦しいものだった。
その苦しみからいつからか、「同じ病気で苦しむ人を助けたい」という思いが生まれた。
様々な職業を調べる中で、自分が栄養や適切な食事について知識をつければ何か役に立つのでは…と思い、管理栄養士という資格にたどり着いた。そこから「大学に行って資格を取りたい」と強く思うようになった。
そのために、ほぼ独学で頑張って勉強して高校に受かりました。学校を休んでから、小学校からのクラスメイトともあまり話せなくなっていたのでこの時期は本当にしんどかった。

摂食障害のことは、いつか改めて詳しく書きたいと思います。

高校生

授業料を免除してもらえたため、私立高校の進学コースに進学。まだまだ摂食障害を引きずっていたため、正直学校に身は入っていなかった。学生生活を楽しむことよりも毎日の「食べる、食べない」の葛藤と戦うことの方が大事でした。部活にも入っていなかった。

それでも高校ではいい出会いがたくさんあった。地元の同級生がほとんどいない学校に行ったからか、今まで触れたことのない価値観を持つ人がたくさんいた。
このとき仲良くなった数人の友人は、今も時々会って色んな話をするとても大切な友人です。大好き。
友達だけではなく、とても尊敬できる先生方にも出会えた。
私に学ぶことの面白さを教えてくれた生物の先生、勉強だけでなく何でも悩みを聞いてくれた担任の先生。先生方のおかげで私は某国立大学の受験を目指すことになる。

高校生活の前半はほぼコロナで潰れてしまい、後半はほぼ受験勉強に費やすことになった。
これまでの人生で一番頑張りました。ただ今振り返ると勉強という一つのことに集中するのは楽だったと思います。
それまで私は摂食障害という病気にとらわれていたが、勉強して知識をつけて成績を上げることは私の自信にもなった。ある意味、勉強に依存していたのかも。

メンタルは相変わらず不安定でしたが、高校時代の大半はいい思い出です。

大学時代(休学するまで)

東京の大学に進学したため、初めて親元を離れることになった。
若干大学入試で燃え尽き症候群になってしまい、サークルには入らなかった。ただ大学の勉強とアルバイトは頑張っていた。
大学の授業は、さすがに興味を持って進学した学科なだけあり本当に興味深かった。アルバイトも、自分の力でお金を稼ぐことが楽しかった。
何より、ひとり暮らしの自由さが心地良かった。

ただ、大学に入ってからずっと何か欠落感を感じていた。
私の大学は、企業の研究職に就く人や大学教授になる人も多く、管理栄養士として働くことのみを考えていた私には見えていなかった道を知った。
その一方で、「このままでいいのか?」という思いをずっと抱えていた。ちゃんとやるべきことはやっているけれど、特に一生懸命やっていることではない。何か打ち込めるものがほしい、本気になれるものが欲しい…と。

そんな思いを抱えて迎えた大学3年生。ますます授業が忙しくなる中、就活も進めなければ…と焦っていた私は、どんどん思い詰めていって自分を追い込むようになる。
そして昨年の9月頃、追い討ちをかけるような出来事がいくつか重なり、気がつくとぼーっと天井を眺めるだけの毎日を過ごしていた。
自分の考えがまとまらず、人に会うのも怖くなり、今までできていたことができなくなり、何もしたくなくなった。
後期の授業が始まっても症状は治るどころかひどくなるばかり。我慢の限界を迎えて母親に電話をしたものの、何も喋ることはできず泣き続けるだけだった。そのまま母親に勧められて実家に帰り、現在に至ります。地元で行った心療内科で適応障害との診断を受けました。


現在の状況

適応障害との付き合い

実家に帰ってから2ヶ月ほどで、少しずつ自分の頭で考えられるようになった。それまでは何の感情も湧かず、本当に心が死んでいたけれど。
私の場合、時間が良い薬になったんだと思います。以前は薬物療法もしていましたが、今はしていません。

色々と考えて、適応障害の原因は
・自分の理想像に実際の自分が追いつけないことが認められない極端な思考
・そのためキャパオーバーに気がつけない。別に思い詰めることではないことでも悲観的に捉えてしまう
・自己開示が下手だから人にうまく頼れない。めちゃくちゃ依存してしまうか何にも話さないのどちらかになる(これも極端な思考ですね)
…といった私の性格と、状況が重なったためだと解釈しました。そのため、今は自分が楽に生きれる方法を模索中。70点くらいをずーっと続けられるような生き方が理想。

今も抑うつ症状に襲われ消えたくなるときも多々あるけれど、うまく付き合っていきたい。


大学について

正直辞めようか…とも思ったけれど、やっぱり続けることに。
来年度の後期(今年の10月)から復学予定です。この休学期間中に、改めて自分のやりたいこととか、大学で学んできたことに向き合えたらいいなと思います。
休学中は実家でのんびり過ごす予定!!


さいごに

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
適応障害の症状が酷かった時、同じように適応障害や鬱病の症状で苦しんでいる/いた方々の記事に救われていました。無言でフォローもさせていただきましたが、この場を借りて感謝申し上げます(フォロー返してくださった方もありがとうございます…!)。

これからは、
・メンタル系の記事(適応障害、摂食障害について)
・趣味の話(食や音楽、読書について)
・日々考えたこと、思ったこと
をつらつらと記事にしていこうかなぁと思います。

改めて、私は自己開示が下手です。生きることが下手です。とても不器用な人間です。
そんな私の自己開示の練習に、お付き合いいただければ嬉しいです。気が向いたら覗きに来てください。

それでは、またいずれ。

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