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【連載小説】耳は幸せを運んでくれた(10)

 結局、授業はズル休みをして、ずっと海斗さんの絵を眺めていた。

 授業を終えて海斗さんが戻ってくる。

 “それ、どう思う?”

 「大丈夫?」でも、「落ち着いた?」でもない問いかけをされて良かった。私のことを聞かれていたら、また笑顔の誤魔化しをしてしまうから。

 「凄く好き。こんな繊細で幻想的な…このままでも、私は好き」

 海斗さんは何も言わない。私も何も言わずにただ絵を眺めていた。
 私が椅子に座って、海斗さんは私の後ろでコーヒーを飲みながら絵を眺めている。
 無音の部屋に2人だけ。

 でも、ちっとも緊張はなかった。

 “今描きたいものが浮かんだから、ガラっと変えるかも”

 「この上から、色を塗るんですか?」

 “そうだよ。それが油絵の良いところだから”

 「もったいない…写真撮っておいちゃダメですか?」

 こんな素敵で、描きかけの絵がなくなってしまうなんて、淋しすぎる。

 “じゃあ、俺の代わりに撮っておいてよ”

 海斗さんこの絵は、この瞬間しかない。
 私だけのモノとして残ることに、高揚感が隠せなかった。

 “暗くなる前に帰った方が良いよ。そろそ美大クラスの子が来る時間だから、俺も準備しなくちゃ”

 二人でアトリエを出ると、ちょうど高校生の男の子が通りかかった。

「え、彼女っすか?」

 そんな感じの口の動きだった。
 海斗さんも、それに返して男の子を小突いている。

 他のクラスでは見せない顔。
 大人の仮面をつけていない一面が見れた。

 海斗さんに背中をガンガン押され、男の子はチラチラとこちらを見ては海斗さんと話しながら、教室に入って行った。

「元気ですね笑」

 “このクラスには、パワーを貰ってるよ”

 なんだか、美味しいのを食べて気分を上げたい。
 家に向かう途中に、ちょっと贅沢してパスタをテイクアウトした。
 
 デッサンの練習も、今日はお休み。
 明日は仕事だけど、ワインも少し飲んだ。

 どうしたんだろう。
 ここのところ、調子よかったのに。

 新しい人達や環境にワクワクしてた。
 次々と欲張りになる感情も、小さな目標が嬉しいことも、その全部が生きている!って感じていたのに…。
 
 どうしてこんなに元気がないの?

 せっかく買ってきたパスタを食べても元気はでなかった。

 こんな時に、愛する人が傍にいてくれたら元気が出るのかな…。

 そう思った時に頭に浮かんだのは、海斗さんだった。

 あれ?

 ・・・

 原因不明のモヤモヤが、一瞬でなくなる。

「私、海斗さんが好きなんだ」

 大人の男性としての落ち着きなのか、人として好きなのか、先生として尊敬しているのか。これが恋愛感情なのか…。

 そのどれもに答えはでないけれど

 “好き”

 なんだな…。

 携帯の写真を、PCに入れて大きい画面で海斗さんの絵を眺める。私だけが持っている、海斗さんが描いた油絵…。

 デジタルの画面を見ながら、さっき見た本物が鮮明に思い浮かぶ。

 藍色の暗闇の中に、月と少年とピンクのたてがみの優しい目をした白い馬。

 これからどうしたいなんて、何も考えていない。
 ただ、自分の気持ちに気が付いたことが嬉しかった。

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