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<小説/不倫・婚外恋愛>嫌いになれたらは、愛を信じてる裏返し(26)STAGE6・サイレント(再)・手放し

 私にとって、自分の存在価値の一つは、稼ぐということ。仕事の中身は関係なかった。

 でもそれは、子どもがいてくれたから。欲しい服も買ってあげれたし、一緒に美味しいものを食べたり旅行にだってたくさん行くことができた。「ハーゲンダッツもいつでも買っていいよ」なんて言える自分が誇らしかった。

 でも、もういいのなら…。好きな事をして、それで一人でも食べて行けるだけの収入があればいい。

 これまでを手放して人生を大転換する大きな決断。好きなことで食べていく方法を模索する。初めての世界で、何をしていいのかも、誰を頼ればいいのかもわからない。一人では心細く、人事異動の答えを出す前に佐藤に相談した。

 「は?何考えてるの?その歳から再出発なんてイカれてる。どうしたんだよ。誰よりもうまくやってたじゃないか。路頭に迷うぞ。甘く考えすぎ!」

実家に戻るならと両親にも……。
 「もったいない。将来まで安定してるのに。また、あなたを養うなんて私たちには無理よ。年金生活なんだから」

 自分の不安をそのまま言われてる。応援してくれてるのは、子供たちだけ…。直樹なら、なんて言うんだろう?

 新しい世界に行きたい!でも、怖い。仕事への意欲は全く湧かなくなっていても、次が何も決まらないまま、この絶対的安定を手放せるほどの勇気を選べない。

 やっぱり、ここに居ながらできることを探そう。やりたいことは趣味として、友達を増やしていければいいか。

 そうやってこれまでのしがらみに落ち着いてしまう。
 
 辞令は断ろうかと思ったが、これを断ったら、もう昇進の話はこないだろう。残るなら、自分より年齢の低い上司に頭を下げることになるのも嫌だという欲も出てきた。

 でも、『コピーライターになりたかったんだ』と気が付いたあの時から、もう運命の輪は回り始めていた。

 この会社の営業部は、どの部門よりも絶対的権力を持つ。営業部長が、両方とも変わるということは、異例中の異例であり、まして女部長は初めてのこと。そして、佐藤と同ポジションになったことで、これまで上手くやっていた私たちの関係性が変わり、対立する関係になっていく。

 ことの発端は、営業一部リーダーの高田が二部リーダーになる、いわば降格人事。

 この人事異動も、部長クラスより上が動かす。
「女性初の部長は大変だろうから、一部から動かそう」そう言ってくれた佐藤は、やっぱり頼りになると思っていた……。でも、異動して一ヶ月も経たずに高田は鬱病で、休職することになる。

 部下を鬱病で休職させた。これは、監督不行届きとなって、役職に傷がつく。そして、リーダークラスの人材補填はそう簡単なものではない。抜けたまま、次の異動時期まで持ち堪えなくてはいけない。

 高田が二部にきて、何もしないまま休職なんておかしすぎる。私は佐藤を問い詰めた。素知らぬ顔の佐藤は、私と目を合わせようともしない。

 それから事あるごとに、佐藤は私に突っかかってきているように思えた。それが、私には上を丸め込むための捨て駒にされているようにしか感じない。

 信頼していた人から裏切りは、他のどんなことよりも心が疲弊する。

 佐藤が築き上げた二部は、当初よりだいぶ大きくなって、五名から十五名に膨れ上がっていた。

 当時派遣だった奈美ちゃんを正社員にして、営業サポートリーダーに昇格させた。同じサポートだった小野田さんは、一部に昇格。その代わり新卒のサポート二名が加わる。このタイミングで、私の精神的支柱となっていた、ベテランの後藤さんが定年退職となった。

 花音も、やりたかった仕事の就職も決まり家を出ている。信頼できる人が次々と離れて、私は孤立した。というか、人が怖くなり誰にも会いたくない。

 心の中で、何度直樹に助けを求めていただろう。
 
 高田が抜けた穴は大きく、全てのタスクをこなさなければならなかった。二部は育成ポジションなだけあって、営業チームは若いメンバーばかり。優先順位なんて甘ったるい方法なんてできない。取引先、上司、部下に至るまで「見積もりはまだか」「何やってるんだ」「この前の相談なんですけど」と、全てが今やらなくてはという状況にまで追い込まれていく。

 仕事も私生活でも記憶が欠落していった。仕事でさっき言われたことを覚えていなかったり、友達との飲み会や車検すらも忘れていたり。おのずとミスを連発して無駄な仕事が増えていく……。判断力も乏しくなる一方で、数分なのか数時間なのか、気が付けばパソコンの前でぼーっとしてしまっていて、仕事が貯まっていった。

 この状況は、離婚した時と同じ……。
 自分ではどうにもできない渦に流されている。

 それを象徴するかのように、部長になって半年後、私は営業中に交通事故に巻き込まれた。対向車線の居眠り運転のトラックに突っ込まれたのだ。私一人で良かった。助手席側から突っ込まれたが、幸いにも軽傷だったため、検査で数日の入院で済むと思っていたが、先生から「適応障害」の診断を受けて一ヶ月の休職を言い渡された。

 何をどう判断されたのかが理解できない。先生にくってかかったが、先生の見解が正しかった。

 「最初から、支離滅裂な感じがありました。事故による意識の混濁かもと思いましたが、検査に全く異常はない。鬼気迫るモノ言い、目つき。精神的なものと診断しています」

 「私は、部長職に付いているんです。部下も何人もいる。私にしかできない仕事ばかりなんです。みんなが困ってしまう。こんなことで、休むわけにはいかないんです!」

 「会社に所属している以上、役職があってもなくても、あなたにしかできない仕事はない!そうであれば、それは会社の怠慢です。あなたのせいではない。出来ないことは出来ないでいいんです。落ち着いてください。あなたは休まなくてはいけない!ここでしっかり心のケアをしないと、それこそ社会復帰が難しくなってしまいます。下手したら、復帰が出来ないくらいです。休んでいいんです。正社員でしょう。休職中の給与も補償される。生活の心配はいらないはずだ。好きな事だけやって何もしない。それが今あなたがやるべき仕事です」

  初めて“何もしない”ことを命令された。許されたと言ってもいい。「出来ないって言った事ありますか?」出会ってすぐの直樹から言われていた言葉を思い出す。「直樹、助けて」そう心の中で叫んで、指輪を触って落ち着かせていた。

 あの時、軽い気持ちで気が付いた自分の使命。そこに飛び込むことを怖がって“ココ”にとどまる選択をしたけれど、カオスなまでの状況は、道が違うと言われているようだった。

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