らしさなんて銃で蜂の巣にしてやんよ
らしさなんでクソ喰らえ
窮屈なんだよ
私は私だマジ卍だ
私のジェンダーへの興味は
般教の社会学と
短大のゼミの女性学
それと社会言語学をベースにした
ジェンダー論者聖子ちゃんの存在
その3つが基礎になっている
まず社会学の講義で知った
ドラマツルギーアプローチという概念が
とても興味深かった
ドラマツルギーアプローチとは
"様々な「役割」をもとにコミュニケーションを行っていて、
自分と他者はそれぞれ居合わせた場に応じた互いの「役割」を認識し、
その「役割」に沿って振る舞う。"という概念だ
家族、友人、知人、恋人
それぞれといる時の自分が違うなと感じていて
それが腑に落ちた概念だった
特に母からは口うるさく
「女性らしく」とか「学生らしい服装を」などと
らしさを押し付けられていた
娘役割にはとかく「らしさ」が付きまとう
私は上京してすぐに金髪にして
ピアスを開けた
母の嫌いな派手な服も着倒した
役割やらしさというものは
ひどく窮屈だし
根拠もないものの押し付けだと思っていた
それは老若男女にとって
生きづらさを産むのだ
またゼミの女性学では
有斐閣の女性学入門をテキストにしており
これで一応基礎の基礎を学んだ
聖子ちゃんの英語の講義では
"恋人にお前と呼ばれるのが不快で
試しに自分もお前と呼んだら振られた"とか
ジェンダーに関係したこぼれ話を
たくさん聞くことができた
勉強会では
『ジェンダー・スタディーズ』を
噛み砕いていった
これを機にジェンダーを扱っている本を
短大の図書館で片っ端から読むようになった
そして
社会学をベースにしたジェンダー論を展開できたらと思い
編入予備校では社会学科志望で
社会学の講義を受けていた
「らしさ」に囚われて生きるなんて嫌だった
私は剥き身のままで私だ
らしさなんて東京湾に棄ててやるんだ