善悪を超越したマルジャーナ【3】/『アリババと40人の盗賊』
アリババ、ヌレディーヌ、クオジャ・フサインが食事を終え、お酒を飲み始めると、マルジャーナは踊り子になり、三人をうっとりさせました。
片手に短剣、もう片方ではトンバク(ペルシャの打楽器。ワイングラスのような形で、直径が太い方に皮が張ってあって太鼓になり、もう片方の細い部分には穴があいている)を逆さにして、プロの踊り子が余興の最後にお金を集める時にするように差し出しました。
クオジャ・フサインがお金を入れようとしてかがみ込むと、マルジャーナは短剣で心臓をひと突きしました。
アリババは青ざめました。しかし死体の顔をよく見ると、盗賊のかしらだとわかりました。
アリババは、ヌレディーヌとマルジャーナに、夫婦になりたいかを聞きました。その提案は二人にはごく自然なことのように思われました。
何日か続いた結婚披露宴の最後の日、アリババはヌレディーヌに秘密を教え、これまでのことをすべて話して聞かせました。
「マルジャーナは一番大きな役割を果たした。でも、宝物のありかを知らない。明日の夜明けにおまえたちを連れて行ってやろう。宝物は正しく大事に使うことだ。そうすれば、おまえたちの子どもたちや孫たちも節度を持ちながら栄えるだろう。その子どもたちもな」
以上があらすじです。
マルジャーナは、盗賊たちを危(あや)めました。この行いだけに注目すると、奴隷という誰にも助けを求められない境遇にいるとはいえ、とんでもないことです。しかし、この物語の最も大事なところは、善と悪の行方(ゆきかた)の違いを表しているところだと思います。
例えば、盗賊たちは、取り返しのつくことでも、失敗を許さず、仲間なのに殺してしまいます。優しい気持ちなどありません。そもそも、盗みをして暮らすことを悪いとは思っていません。他人の苦労など、どうでもいいのです。これは悪のやり方、自分さえ好ければ良い行方です。
マルジャーナは、自分を犠牲にしてアリババ一家を助けます。宝物が欲しいからではありません。奴隷から解放して欲しいからでもありません。そういった目的や身の欲からではなく、奴隷という境遇で他の人の知らない苦労をしてきたことで魂に力をつけたマルジャーナは、自分で自分の値打ちをつけすぎず、アリババ一家が幸せでいられることを一番に考えて行動しているのです。
世間的そして外的の不幸が必ずしも真の不幸ではないことが、この物語からわかります。分不相応な望みをおこさなかったマルジャーナは数々の困難を突破します。裕福なのに強欲なカシムの末路は悲惨です。クオジャ・フサインは善を嫌って我欲を出したことで破滅します。アリババはこのあと宝物を人の役に立つことに使って行くでしょう。宝物は盗品ですが、奴隷の境遇の人があたりまえにいる世の中で、何かあったら警察に相談が出来て助けてもらえるような社会体制はなく、盗賊たちが長きに渡って盗んだ物を盗まれた人達のところへ返せるような手立てもないので、宝物は、アリババのような親切な人が、多くの人に役立てることが一番良い、ということなのでしょう。
この含蓄豊富な物語は、そのまま今ある世界を受け入れて、それを公平に視る広量があることの大切さを伝えようとしているようにも感じました。
※画像は、小峰書店の絵本の挿絵ではありません。本物の薔薇の花びらを素材にした、岩の内部が輝くイメージです。
(了)