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南ラオスで学んだお金と幸福感

先日たまたま「お金と幸福についてのお話」をさせていただく機会があり、「お金に頓着のない私でいいの?」
と思いながら、ラオスの現状をお話させていただきました。

ラオスの現状

さて、まずはラオスの現状からお伝えします。
ラオスは東南アジア最後のフロンティアとも呼ばれ、もっとも発展の遅れた地域。それでもアセアンの発展とともに、一気に経済発展を遂げ始めよう・・・としつつまだまだ遂げれない。そんな印象の国。

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経済発展といっても発展しているのは、首都であるビエンチャンくらいで、後は先日私が寝泊まりしていた南部のパクセ、観光都市であるルアンパバン(こちらは今どうなってるかわかりませんが)、メコン川沿いの商業船が止まるサバナケットの都市が少しましかな?くらい。

私のいるサラワン県シノムノー村はというと、経済発展が遅れたラオスにおいても最も経済的には貧困地域と呼ばれる地域の一つ。
しかし、アセアンの発展の影響がある意味で最も大きい地域とも思っています。その理由は、隣国の農業の下請けがこの地域に流れて貨幣を持つことを覚えたこと。
バイクやブロックなどお金を出せば手に入る便利な道具が普通になり始めました。
つまり、今まで自給自足でお金のいらない暮らし

・家は竹や木を使い草ぶきで自分たちで建てる
・食べ物は野山、川から採取する
・服は自分たちで紡いだものを織るし、別に着なくてもいい

という衣食住をまかなえていた生活様式がお金が無いと暮らせない方向へパラダイムシフトし始めているのです。

お金に対する価値観は?必要?不要?

そんな過渡期であるこの村においては、年配の方と若い人、また自分で食べるものを作らなくなった人達で随分とお金への価値観が違うように思います。

年配の方
基本的にお金が無い暮らしが当たり前だった人たちなので、お金がなくても困りません。そんなに欲している様子もない。

若い方
お金があるとバイクに乗れるし、家もブロックやセメントで建てれるので稼ぎたくなっている。でも嫌な仕事するくらいなら、家族とのんびりの方がいい。

食べるものを作らなくなった人
お金へ頓着しはじめる。お金が無いことへの不安やストレスが見受けられるようになる。でも、村全体で食べれるように分け与えているので基本的にはなんとかなるさとお金が無いことの現状をうけいれる。

総括
ということで、多少の感覚の違いはあるものの、お金は欲しいけど無いならないでも別に構わない。
という感覚が強い印象。
お金のために自分の人生を犠牲にして・・・なんて本末転倒。
何しろ仕事が一番という考えは全くない!
一番は自分、そして家族、その次が村。

お金は何に使うの?貯金は?

そんなラオスでお金の使い方は?というと、

1,家の材料を買う(セメント、ブロックなど)
 竹と草ぶきから、レンガとスレートの家へ変わっています。でも大工仕事は自分と村の人でやります。村のお手伝いにはお礼でお酒を一緒に飲んだりする程度かな?最近はお礼にお金を渡したりもしています。一日500円くらい。

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お金が入った分づつ材料をかって作るので、完成まで数年~十数年かけてつくられることも当たり前。作りかけの家をやたら多く見かけるのはそのため。

2,バイクやガソリン代、携帯代
 便利道具の一番地はバイク。結構高いのでこれを借金して買う人もいますが、村ではあまりそういった話聞かないです。オンのバイクは中古品のさらに15年物ですが、ずっと乗り続けててめっちゃカッコいい!鍵はなく直結でエンジンかけます。

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またスマホ携帯が最近一気に普及し始めて、携帯とパケット代にもお金を使っている様子。でも必ずパケットしてるかというと、パケット代が無い場合はそのまま次のお金が入るまでカメラとして機能しています。

3、村の祭りや結婚式

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ラオスは祭りが非常に多い国。中でも大きな祭りがいくつかあり、その時はみんなで牛を何頭か買います。また、自分の娘の結婚式にもやはり牛を買ったり、テーブルをレンタルしたり結構な出費が予想されます。

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(ご祝儀は決まってませんが、一人数百円程度。牛は一頭4~5万円以上)

4,農業
先ほどアセアン農業の下請けの話をしましたが、今まで手狩りしていたものが、最近は除草剤やトラクターによる耕運機の使用がみられるようになりました。トラクターはレンタルで大きさによりますが1ヘクタールあたり1万円程度

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後はこまごまとした学校の文具代とかに使われますが、基本的に衣食にお金をかけないのが特徴的
税金はというと、所得税は本当に僅かだし、農業従事者は多分払ってない。
サラリーでいうと数百円程度。土地税は1ヘクタールで年間数百円。

貯金は基本的に皆無だし、それに対する不安は全くない様子。

そんなラオス人の幸福度は?

・・・と私たちは幸福度の物差しを用意してしまいますが、私が感じる村の人は
「幸福とか幸福じゃないとかそんなめんどいことなんで考えるの?」
という感じです。
今日一日生きてそれでいいじゃない?
である。
なのである意味めちゃくちゃ幸福な感覚。

その根底には他人と比べない。(比べても明日には忘れる)
自分は自分。
というものがあるように思う。

日本人がマネできる幸福へのヒントは?

と、そんなことを先日のお話の中で質問いただきました。
物質的な話をするとやっぱり自給自足ができる環境を作ること。食べれるってことはそれだけで最後の砦になりますからね。
とは思うのですが、きっと中々それは難しいですよね。

ところで、私はラオスに来て水がないところからスタートしました。
今も毎日朝から食料を確保することから始まります。
今日はちょっとシンドイからスーパーの総菜でしのごう。
なんてできません。作らなきゃ、採らなきゃ、食べる事ができない環境にいます。

ちょっとした道具を買いたくても、基本ありません。頭を切り替えたいとカフェにも行けません。夜電気つけてると虫が入ってきてイーーーってなります(笑)
ほんの些細なこと。日本だったら数分で手に入ることが殆ど手に入りません。

この環境にいると

日本はほんとうにめぐまれている!

何でもあるのに!

なんて幸福な国なんだ!

と実感します。
圧倒的に生き方の選択肢が多い日本で、何が幸福?なんて贅沢なお悩みに思ってくるのです。私たちは少なくとも快適な環境で生きていくことができるのですから。

親の代、祖父母の代へ感謝を

そんなこと言われても漠然としていて・・・と言われるかもしれないので、最後にもう一つ。この75年の日本の変化を実感してみると少しわかるかもしれません。

以前ラオスの農場に70代の日本人が来られたことがあります。その時言われたのが
「戦後の東京みたいだね」
という言葉です。

先ほど書いた、何もない状況は決して遠い国の話ではなく、七十数年前の日本の姿だったのです。しかも東京です!
はっきりいって、今私がこのラオスの現状から70年で日本のようになるなんて全く想像できません。

親の代、祖父母の代が、戦後必死で死に物狂いで今の安全な環境を作ってきてくれたのです。


蛇口を捻れば水がでる当たり前。
エアコンでテレビを見ながらくつろげる当たり前。
みんな学校で学べる当たり前。
スーパーで食料が買える当たり前。
気軽に遊びにいける当たり前。

書けばきりがないくらい多くの当たり前は、どれも数十年前は当たり前じゃなかったことばかりだと思います。

今ある当たり前をもう一度見直して、おじいちゃんおばあちゃん、お父さんお母さんが必死で作り上げてきてくれた安全快適な暮らしへの感謝をもてば、それだけで幸福度は上がるように思います。

行き過ぎた発展は確かに一部弊害ももたらしたかもしれません。その行き過ぎた発展で自然への回帰も一部始まっています。
ですが、まずは現状に感謝することからスタートしませんか?
そこをベースに「これから今をどう生きるか?」
私たち個人一人一人が今をしっかり考えていければいいのだと思います。

そんな当たり前をラオスの人は私に気づかせてくれました。

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kohji 南ラオス自然農園
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