人は信じた通りの者になる
信じることで得られるものって
すごいものがある
相手にとっても自分にとっても
・安心感
・自信
・喜び
へとつながる
でもそれ以上に得られることがある…
不信からは何も生まれない
来週から、やっと子どもの学校が通常運転となる。
常に誰かと共に居る生活は
私にとっては思考停止状態
陸地のカエル🐸のような気分だった
干上がってしまうという意。
常に目にする息子の行動は
なんせムダに見えて、
腐るほど時間があるのに
何一つ建設的なことをしない
ずっとTVを見ている
ゲーム三昧で、
とんでもない怠け者にしか見えなかった。
オンライン学習に必要とiPadを渡せば
ずーっとオンラインゲーム。
なんやねんコイツ
こんなんじゃ
バカになるだけ
ろくな大人にならない
相手を信じないエネルギーはそのまま
届いて、より心配した方向へ向かわせてしまうのだ
息子の反抗期はより酷いものとなった。
言っても言っても、
ダラダラした生活でしかなかった
自粛期間3か月
ついに私は諦めた❗️
勝手に育てばいいさ。
ただ、共同生活なのだから
その辺の気は使ってくれ❗️
人生の種を撒き、刈り取るのは自分
そんな説明をし、放任することにした。
心配無用
息子の力を信じたというより
投げた形となった
必要になれば、勉強もするだろう
運動もするだろう
ただ人生をムダにせず
なりたい自分に向かって進む努力は
惜しまずにして欲しいなぁと思う。
腹が立つ時は自分の心を眺めてみる
結局、人がいるだけで負担になる性質の私は、
(極端に集中力が削がれてしまうため)
ただ単に自分のことができずにいる時に
好き勝手する息子が羨ましかったのだと
学校がはじまる段となって気がついた。
人が居るからと、諦めて
自分を生きることを怠っていたのだった
私も好きにしよー。
あれもこれもしよー。
息子も今日、やったことを箇条書きにして
アピールしてきた。
お?
やればできるじゃん。
なんやねん、始めっからしろやー。
いや、母の気づきが遅くて
さーせん😅
人は信じた通りに動いてくれる。
思い通りに人を動かすという意味ではない
根本の部分を信じれるかどうかだ。
生命力とか人間力とか存在そのもの
つまらない人間だと思えばつまらないことをする
いつも頑張る人だなぁと思って見れば頑張る姿が見える
なんてやつだと思えばなんてやつだと言う機会が訪れる。
つまり、人ですら、
決められないはずの、動かせないはずの
人のことすら、やはり自分で決めているのだ
嫌なことをされるのなら
その嫌なことを引き出している自分に気がつこう
がまんしていることはないか
隠していることはないか
本当にしたいことは何か
自分を強く責めていることはないか
自分にカエル素晴らしいキッカケなのだから。
結局、息子は、
私自身に毎日ムダだと思わずに
ひとつひとつ好きなことをしなさいと
教えてくれたに過ぎない
まぁなんて、しんどい鏡だこと。笑