読書と身体
読書とは本当に知的行為なのだろうか?僕たちは知性を高めるために本を読んでいるのだろうか。
ということに疑問を呈して見たくなった。
以前から思っていたこと。読書は割と身体活動ではないか。フィジカルなパフォーマンスではないか。スポーツのトレーニングや楽器の練習と同じで、読書の身体的技術も鍛えられるのではないか。
ちょっとわけわからなくなってきました笑
僕が本を選ぶとき、読んでよかったと思うときはまず、読んでいる最中に気分が良くなってくる本である。もっというと身体ごと心地よくなってこないといけない。それは読みやすさとか内容に興味があるかとかとは別の次元の話だ。単純に身体が心地よくなってくるかどうか。それが良い読書をしているかの1つの基準である。小説でもエッセイでも、たとえHow to本のようなものであっても。
だから、読んだ後にどういう知識がついたとか、教訓を得たとかというのは二の次の話、副次的効果であって、まずは読んでいる行為、その最中が大事なのである。
そういう意味で読書はやはりフィジカルな行為であって、お勉強とは違うものなのだ。
しかし、「言葉」が介在するだけに、どうしても知的な行為、頭脳のみを使うものだと思われがちだ。もちろん知的な側面はあるし、それを否定するわけではないのですが。
ただ、良い本かどうかをジャッジする時に、そこから表面的に何を得られたか、知識を得たかということだけを基準にするともったいないと最近は思うわけである。
読んでて気持ちよけりゃ、まずはそれでいいじゃん。というのが、本の価値を変えていくのではないか。そんなことを突然思いました。