三単現の-s,要らなくない?──素朴な問いから始まる,英語への疑問
私たちは中学,高校で英語を学ぶ。その中で,-sの付け忘れは誰もが一度くらい経験することだろう。三単現(he, she, あるいは Kenなどの固有名詞)に付く動詞には"s"をつける必要があるという英語文法のルールに「なんでそんなことする必要があるの?」という素朴な疑問は,誰もがなんとなく感じていたと思う。
今回は,その三単現の-sが必要なのかという小さな疑問から始まって,英語そのものに対する壮大な疑問へと繋げて語っていきたいと思う。
言語学の中での英語の位置付け
言語学と一言であっても,その在り方は様々である。私のように言語と認知の関係を研究したい人や,英語や日本語といった個別言語を研究したい人,あるいは,少数民族などの消滅危機言語を記述(保存)することが目的で研究する人もいる。
今回は英語についてなので,個別言語研究の一つとして考えてもらって構わない。
さて,その個別言語としての英語には,やはり存在感がある。それは,英語が世界中で話される世界共通語であるからではない。もちろん,それも関係するだろうが,何よりも,英語の特殊性にある。
私たちが外国語を学ぶというと,大抵英語ばかり学ぶので,英語と日本語以外の言語を知らない。だから,英語しか知らないと,「男性名詞,女性名詞」とか聞くと「何それ!?」となってしまいがちである。しかし実を言うと,インド=ヨーロッパ語族(英語,フランス語,ドイツ語などのヨーロッパ言語群)の中でも,男性・女性名詞がない言語というのはかなり珍しいのだ。
というのも,ゲルマン語派(ドイツ語,英語,オランダ語など),ロマンス諸語(フランス語,スペイン語,標準イタリア語,ポルトガル語など)のいわゆる「ヨーロッパ言語」のほとんどでは,単語一つひとつに男性女性の区別がある。ドイツ語系に至っては,男性女性に加えて,中性名詞なんてものもあるくらいである。しかし,英語にはそれがない。
また,他のヨーロッパ言語では,ほとんどが屈折*するのに対し,英語は|あまり《・・・》屈折しない。
例えば,フランス語の場合を見てみよう。
例:フランス語
1 Je mange.(私は食べる)
2 Tu manges.(あなたは食べる)*カジュアル
3 Vous mangez.(あなた:あなた方は食べる)*フォーマル
4 Nous mangeons.(私たちは食べる)
5 Elle mange.(彼女は食べる)
このように,主語によって動詞の尾が形を変えている。
対して,英語を見てみよう。
例:英語
1 I eat.
2 You eat.
3 They eat.
4 We eat.
5 She eats.
見てわかる通り,英語の場合,SheやHeでしか語形変化をしていない。三人称単数に-sを付けるというのは確かにれっきとした屈折であるが,しかしフランス語のそれと比べると異様である。
他にも,フランス語の場合,主語が複数形であれば,動詞や形容詞もそれに伴って複数形になる。しかし,英語はそんなことはない。
ということは,英語は屈折語ではないのだろうか? しかし,英語も,三人称単数だけではなく,過去形の場合でも他のヨーロッパ言語の屈折語と同じく,屈折する。(-ed等)
英語というのは,屈折語(単語が屈折する言語)なのか,屈折語ではないのか,よくわからない位置にいる。屈折しないのなら,話は簡単だった。しかし,英語は部分的に屈折する。はっきり言って,「変な言語」である。
英語の変な部分は他にもある。
例えば,woman /wˈʊmən/という単語の複数形は,同じ綴りでwoman /wímɪn/であるが,発音が変わる。この場合,"o"は,/ʊ/という発音と,/í/という発音の両方を示すことのできる文字であるということになる。また,tiにも複数の読み方が存在する。until /əntíl/の場合と,communication /kəmjùːnəkéiʃən/の場合では,tiの発音が異なっている。他にも,laugh /lǽf/とghost /góust/ではghがfの音になったりgの音になったりする。全体的に,英語では,綴りと発音の関係が不安定であることがわかる。
このような英語の綴りと発音の不一致から,"ghoti"という綴りが"fish"として発音できてしまう,というジョークも存在するほどである。
ではなぜ,英語は,こんな「変な言語」になってしまったのだろうか?
それは,英語史を読み解くことで明らかになる。
英語史
この記事ではそこまで細かく話すつもりもないので,概要だけにとどめておこうと思う。より詳しく内容を知りたい方は,堀田隆一さんの『英語史で解きほぐす英語の誤解』などの書籍をお勧めする。
まず,英語史の時代区分から見ていこう。
古英語
中英語
近代英語
現代英語
の4つが最も典型的な区分であるとされている。
英語の始まりとも言える,古英語は449年から始まったとされる。これは,アングロサクソン人がドイツ,デンマークなどからブリテン島に移住してきた頃を「英語の始まり」と見做していることが理由である。が,実際のところ,英語の現存する最古の文章は700年ごろに書かれたものであるから,厳密には700年とする見方もある。
この古英語の時代には,英語はほとんど純粋な言語であった。純粋というのは,あまり良い表現ではないかもしれないが,当時の英語には,語彙という面ではほとんど借用語*がなかったため,いわゆる「例外」などはなかった。
加えて,当時の英語には屈折があった。屈折とは,先ほど触れたように,名詞の性による形容詞や冠詞の変化や,動詞の変化である。
堀田隆一氏によれば,少なくとも48種類の屈折形が存在したようである。
また,屈折が顕著に存在し,それが「性」によって形を変えるということは,つまり日本語のような,また,現代の英語のような自然性のみではなく,当時の英語には文法性が存在したということもわかるだろう。
文法性とは,実際の性別(オスは男性,メスは女性名詞のような自然の性)ではなく,文法によって定められた性のことである。実際は男性であっても文法上は女性,または中性として扱うような場合もある。
当時の英語は,現代のドイツ語と同じく,男性,中性,女性の文法性を持っていた。
また,最後に,当時の古英語は綴り通りに発音していた。今の英語は,thoughは「ゾー」のように発音するのに,一つtを加えるとthoughtは「ソウト」みたいに発音し,逆にhを無くすとtoughで「タフ」として発音する,のようにはっきり言ってめちゃくちゃなルールを持っているが,当時の英語は全くそんなことはなかった。
例えば,knightは「ナイト」と発音するが,当時はcniht「クニヒト」と発音していたし,climbは「クライム」と発音されるが,当時はclimban「クリンバン」と発音されていた。(堀田隆一, 2011, 『英語史で解きほぐす英語の誤解』p. 41 - 42)
このように,古英語は今の英語と比べて全く違う特徴を持つ言語だった。現代英語は,古英語の時に持っていた特徴のほとんどを手放し,ほとんど生まれ変わってしまったのだ。
しかし,これは,決して普通の現象ではない。例えばドイツ語やフランス語は,昔からあまり特徴を変えていないし,日本語だって,古典を読んでいてもやはりどこか日本語であることを感じ取れるはずだ。
一体,何があったのだろうか。
まず第一に考えたいのは,ブリテン島の歴史である。ブリテン島には元々──というよりかは,彼らも移住してきた者の一つなのだが,──ケルト人が住んでいた。そこへ,古代のローマ帝国軍がブリテン島を手に入れるために侵略してきて,結果的にはその大半をローマ世界の一部としたのだ。
しかし,ローマによって征服された後でも,そこに住んでいるのはケルト人であり,言語もケルト語だった。ローマ人が入ってきたり,公用語がラテン語になったことで多少のバイリンガルは生まれたようだが,しかし,言語そのものを変化させるほどの影響力はなかった。また,ケルト語とラテン語が話されていたものの,まだ英語はこの島には現れていない。
皆さんも知っているように,4世紀くらいになると,ゲルマン人の大移動が開始される。その影響をもろに受けたローマ帝国は,その対処のために軍をブリテン島から撤退させた。というのも,ブリテン島は辺境地であり,わざわざ軍を置いて守るほどの価値がなかったのである。
その隙を見てか,そこへ,今のブリテン島のメインの人種であるアングロサクソン人が海を越え,ブリテン島へと足を踏み入れた。アングロサクソン人は,ケルト人を追い出すことでブリテン島を手に入れたのだ。
その後,ラテン文化の破壊と再生や,ヴァイキングとの交流,つまりは言語的には古ノルド語との接触があったり,ノルマン人であると同時にフランスの公爵であったノルマンディ公ウィリアムなどによる,イングランドへの侵略(ノルマンコンクエスト)があったりした。
かなり端折ったが,英語という言語は,ケルト語,ラテン語,古ノルド語,フランス語,他にも多くの言語によって影響されてきたという歴史を持つのである。
特に,中でもフランス語はかなり大きな影響を与えていて,一時はイングランドの公用語としてフランス語があった時代もあるほどである。
とは言いつつも,貴族はフランス人であり,庶民はイングランド人であったという構造があったため,実際には庶民のほとんどは英語を話していたようである。
しかし,この時代を経たことで,英語はフランス語からの多くの借用語を得た。どのくらいあるのかをまとめたwikiがあるので,ここに貼っておく。
英語は,このように,様々な言語からの影響を受けることで,様々な言語の単語とともに,様々な言語の特徴も受け入れ,自らのものとしてきたのだ。
単語を新たに構成する際のルールや,文法そのもののルール,単語を屈折させる際のルールや,過去形の形ですら,様々な言語からの影響を受けている。もはや,現代英語は英語ではない,と言えるほどに,影響を受け過ぎている。
さて,だからこそ,英語の発音ルールはめちゃくちゃなのだ。つまり,この単語には英語そのもののルールを適応させているけど,この単語にはフランス語のルール,これにはケルト語,今度は古ノルド語を,と言った具合で,それがほとんど予測不可能なレベルで複雑化してしまっているのだ。
それに伴って,たくさんの古英語の単語も形を変え,発音をかえ,もはや消えてしまったりしたものもある。屈折というルールもほとんど消えてしまった。しかし,本題(?)である,三単現の-sはなぜ残っているのだろうか。
ここまでの荒波を耐えるほどなのだから,実は三単現の-sは有用なのである。
三単現の-sの有用性
三単現の-sがあることによって,私たちは主語が何なのかを予測することができる。
例えば,catsという主語があったのだとして,このcatsにつく動詞が単数形(sが付いてる)なのか,原形なのかでcatsに対する解釈が変わるのだ。
Cats drinks water.
Cats drink water.
普通に考えれば,「正解」は2である。が,仮に,1の場合が成立するのだとしたら,どうだろう。Catsという人物がいたとしたら,何の違和感もなく受け入れられるのではないか。
つまり,drinksなのか,drinkなのかによって,主語が普通の名詞なのか,それとも固有名詞なのかの判断を可能にしているのだ。
これが一つ目の-sの有用性である。
もう一つは,-sがあることによって主語の名詞が複数であるか単数であるかを聞き逃し難くなるという点である。
先ほどの話と少し被る部分もあるが,例えば:
The tomato_1 taste_2 like so good.
のような例では,三単現の-sがあることで,もし仮に_1で-sがあるのかないのかを聞き逃してしまったとしても,_2の時にもう一回チャンスが生まれるのだ。
というのも,そもそも,無声歯茎摩擦音である[s]は,かなり聞き取り辛い。だからこそ,本来であれば,[s]を「単語が複数であるか否か」を表すための接尾辞として利用するのは合理的ではない。しかし,言語は必ずしも合理的ではないからそこは仕方がないとして,それなら,その不合理な点を少しでもわかりやすくしたり,理解に齟齬が生まれないようにする,ということが必要である。
その結果,合理的な結果として,三単現の-sは残ったのだ。
一応,正確に言うのなら,現代の標準英語は,英語の中でも変種,つまりは方言のようなものの一つでしかない。だから,三単現の-sの存在も,他の方言では特に必要なかったりするし,三単現の-sは三単現ではない,と言う場合もある。つまり,同じ-sでも,ルールが異なる変種も存在する。
だから,なぜ-sは残ったのか,という疑問は少し見当違いであったりもしなくもない。正確に言うなら,なぜ-sが残っている変種が標準英語として採用されて,今残っているのか。とか,そういう別の切り口も必要になる。
最後に
正直,そこまで納得のいく答えではないかもしれない,と書いている最中に思ったのだが,こういう回もありだろう。笑
私にはこれ以上の説明ができないので,もっと知りたい! という方は以下の2冊をぜひお手に取っていただければと思う。
最後まで読んでいただいてありがとうございました。
言哲