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【実話】11回も宿題を再提出させた英語の先生の話

中学校の英語の先生は厳しかった。

今流行りのアニメの例えを借りれば、英語教師版の鬼舞辻無惨そのものなので、無惨先生と呼ぶことにしよう。

雨の中、泣きながら「先生、再提出のノートです!」と見せる放課後のテニスコート。

無惨先生の青ペンが走って、「再」の字が書かれるのは今日11度目だ。

部活指導中でも無惨先生は怒鳴らない。

真っ赤な夏の日でも先生はいつも冷静冷徹で、話し言葉なのに日本語が乾いた数学の記号に聞こえる。

私の学年には6クラスあったが、無惨先生を崇拝していた学生は各クラス2人程度で、まさに十二鬼月状態 ( 2×6=12 )。数学の授業よりも論理的な英語の授業を展開する先生に惚れ込んだ私は、紛れもなく十二鬼月の1人。

毎日のように英文を書写する宿題がノート5ページ分。多いときは10ページを超す。厳しい厳しい厳しい。宿題の量に上限が無い。手加減のない徹底した本文の反復書写。

無惨様は自分の血を手下の鬼に分け与える。それが無惨様なりの愛の形だとすれば、無惨先生の愛の形もそれに似ている。無惨様の血に順応した者はより強い鬼になるが、順応できないものは死んでいく。無惨先生の授業と宿題に順応した学生は英語の達人になれるが、そうではない学生は英語嫌いになっていく。

中1の頃アルファベットの習得が最も遅く、be動詞も三単現のsも何のことか分からなくて、テストは赤点、英語が何よりも嫌いだった私は、中2から無惨先生に英語を教わった。

私が英語に対して取る態度は「嫌う」から「呪う」に変わった。

しかしそれは中2の夏頃までだっただろうか?

同年の秋から、英語のテストで80点を下回らくなったからだ。

どうやら私は無惨先生の指導に順応したらしい。

私が英語に対して取る態度は「呪う」から「好む」に変わった。

熱血教師の指導は学生の魂を鼓舞するが空回りに終わることが多い。対して、無惨先生の授業と宿題は、学生に元々流れていた英語嫌いの血を1滴1滴抜き、1滴1滴英語強者の血を入れていくようだった。

確実に英語力は付くが、絶対に痛みは避けられない。英文を書写して体に刷り込むという作業は、血を総入れ替えする作業に他ならない。

幸運にも中3になっても無惨先生が私に教鞭を取ってくれていた。

4時間目の英語の授業が終わって他の学生は給食を食べているのに、教室の片隅で無惨先生はそのクラスの十二鬼月達に高校レベルの英文法の授業をしていた。暇があれば、来る者であれば、自らの血を分けるような先生だった。給食よりも、私は無惨先生の血を分けてもらえる授業の方を常に優先していた。スティーブ・ジョブズでおなじみの"Stay hungry"。飢えるは飢えるでも、血に飢えるくらい、知識に貪欲であれ!というメッセージは、無惨先生の血を通して教わった。

私の中3は英語色に染まった。

宿題ノートは「再」の字で埋まった。

私が英語に対して取る態度は「好む」から「愛す」に変わった。


誰から見ても分かる優しさが愛だとは限らない。

誰が見ても分からない愛や、見えない所で実践している愛だってある。

無惨先生は、ほぼ全クラス全学年に嫌われて孤独だった。食事を我慢して十二鬼月に血を分かつ授業をして空腹だっただろう。再提出、再々提出、再々々提出、(以下略)の宿題を絶えず見ていて多忙だった。

でも無惨先生は自分のことを惨めだと思ったことは一度も無いのだろう。

心を鬼にする事が愛になることを知っていたからだろう。

厳しさに支えられた愛は鬼に見えるが実力を育むことも知っていて、それを独りでずっと貫き通していた。

生徒の人気取りを頑張っていた他の大人より、無惨先生はよっぽど教師だった。

無惨先生ありがとう、

おかげで今私は英語圏に住んでいます。





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