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ポケトークすごすぎ!翻訳機の高性能化で英語学習は消滅するのか?

こんにちは、語学の裏設定のゆうです。

今日のテーマは、74ヶ国語の言葉を瞬時に翻訳してしまうポケトークがあれば、英語学習をする必要はなくなってしまうのか、についてです。

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クラウド上に保存されている膨大な辞書データにアクセスをすることで、
平均翻訳速度0.6秒、 おまけに翻訳結果は高精度という。。。

英語を学んでいる人も教えてる人も、
もう自分で英語を勉強する必要はあるのか、と疑問に思ってしまいますよね。

私もそう思ったそのうちの一人です。

・本当に自分の時間を英語学習に割くべきなのか?
・この時代、英語を教えることには意義が残されているのか?
・英語を話すということは機械任せにしてはいけないのか?


結論から言えば、それでも英語を学び、自力で英語を話せるようになることの価値はあると私は思っています。


いろいろ書きたいのですが、ポイントを4つに絞ると、

・会話のノリに乗る
・信用に響く言い間違いを防ぐ
・言語の構造上、日本語から英語の翻訳には限界がある
・その言語が持つ考え方を吸収するには自分で学ぶしかない

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英語を学ぶのは、昇進のため、良い職を探すためのが通例とされてきた社会に、大きな変化を起こすゲームチェンジャーがポケトークです。

英語学習の定義が、「良い仕事を取るための武器」から、「自己変革を促す起爆剤」へと変わった人が増えるほど、

自分自身の定義を自分で更新し続ける「たくましい」人が増えていく社会
になるんじゃないかと予想しています。また、本記事がそのような波を起こすキッカケになったらいいなという思いで本稿を執筆しました。

1.ノリに乗り遅れるラグがある


先日、たまたま英会話のグループに参加した時のことでした。


参加者の一人がポケトークを持っていたので使わせていただき、 そのスピードと正確さに目が開きっぱなしだったことを覚えていますが、1点気になった弱点があります。

それは短い文章なら瞬時に翻訳ができるのですが、長い文章の場合翻訳されるまでのタイムラグがあることです。

会話には情報伝達という役割はありますが、

それ以外に、相手の反応を楽しむ言葉遊び 的な側面があります。 多少時間がかかっても正確に翻訳されていれば確かに伝えたいことは伝わるかもしれません。

  しかし本人が一緒に伝えたいと思っていた面白さは、その空白の数秒の間に色あせてしまい、伝わらないことでしょう。

例えば会話相手と一緒に動画を見ているとします。

自分が面白いと思ったシーンのことをポケトークを通して相手に伝えるのですが、もし翻訳に5~6秒かかってしまい、相手のレスポンスが遅くなってしまうとなんだか興ざめしてしまいますよね。

面白いでしょ → 5~6秒の沈黙 →「うん、おもしろい」

このようにリアルタイムの会話のノリについて行くには、まだ現在の通信速度や処理速度では 不十分なのです。

このような事情から、ポケトークをどれだけ使いこなしてもまだ、外国人の彼氏彼女はできないことでしょう。

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ところがです。

この議論はつかの間の安息に過ぎません。

なぜなら技術革新によって簡単に乗り越えられてしまう問題だからです。

きたる5G通信の到来によってポケトークが現在抱えていた通信速度の問題が大幅に解消されることでしょう。

初めての方に、5Gについて一言で説明しますと、5Gとはリアルタイムでたくさんの情報をやり取りできる通信規格です。例えば4Gの現在ダウンロードに10秒かかっていたのが、0.1秒未満で終わってしまいます。

それなら、5-6秒かかっていた翻訳もタイムラグなしでできるようになるだろうと。

ですから、この理由だけを頼りに英語学習の必要性を打ち立てるのは、もうすぐ崩れそうな柱によって支えられている家のようなものです 。

別の視点が必要になります。


2.意図していない言い間違いを防ぐため


日常会話から億単位のお金が動くような商談まで、世界中で幅広く使われていますが、 特に後者のような「緊張感 」がある会話の場合、 一語一句の選択が 重要です。

表現の選択をするとは 、表現をコントロールすることです。


つまり、

ポケトークなどの機械に翻訳を任せるということは、自ら表現のコントロールを放棄し、 言い間違えが起きるリスクを生んでいるということです 。

例えば、

「彼は経験年数が豊富なので、プロジェクトを任せたい。」

と言いたいのに、もし機械が誤聴して、

「彼は経験人数が豊富なのでプロジェクトを任せたい。」


という文章を翻訳して相手に伝えてしまった場合、 商談の場は大惨事になるでしょう 。この時たまたま取引先の人が女性だった場合、今後自社との取引がなくなってしまうかもしれません。

たとえ翻訳機のミスであると後で分かったとしても、
一度傷ついた信用を回復するのには時間がかかったり、中には回復できない場合もあるかもしれません 。

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確実なコミュニケーションを望むなら、やはり機械には任せることができないでしょう 。

このように考えるとビジネスに携わる人の場合、まだまだ英語学習の必要性はありそうです。


3.日本語は高文脈言語だから翻訳には限界がある


言語学の世界で「高文脈言語」「低文脈言語」という言葉があります。

ざっくり説明すると、

「高文脈言語」とは日本語のように省略することができる言語です。

次の例を見れば高文脈言語の翻訳は至難の業であることが分かります。

「明日ご飯行こ」→「え、明日はちょっと」 

という会話の返事を翻訳する場合 、

「well, a little tomorrow (そうですね、明日は少しだけ)」

となりかねず本当は行きたくないのに、
気づかないうちに承諾していたという惨事に繋がります。

これは他でもなく日本語の言語構造が高文脈言語だからです。先ほどの返事をフルセンテンスで言い直せば、

「明日はちょっと行きたくないです 」

になることは読者の皆さんにとっては明白だと思いますが 、現段階の翻訳機にはまたこれを読み取る力がありません 。

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対して英語は低文脈言語と呼ばれ 、このような省略の仕方が存在しません。というより、「省略することなしに 伝えきる」というのが英語式のマナーです 。

ですから先ほどの返事は英語圏の人だったら

「I’m afraid, I cannot make it tomorrow」

などその文章を単体を見てイエスかノーがはっきりわかる表現をすることでしょう。 現在の翻訳機では、 そこにインプットされた情報しか翻訳することができません。 文脈の中に隠されてしまってるような情報は 、まだ検知できないのです 。

こういった言語の構造の違いから、スペイン語やポルトガル語など母国語が高文脈言語だった人から順に英語学習を卒業することになるでしょうし、日本語のような高文脈言語を話すような人は最後まで英語学習から卒業できないと言えるでしょう。

良くも悪くも日本人は、まだまだ英語学習とはお付き合いが必要なようです。


4.英語学習は英語圏の人の特有の考え方を手に入れる機会だから


いつも私のブログを読んでくださっている方には、馴染みが深い考え方かもしれませんが、

私は、

英語には英語の国民性が埋め込まれており、英語を学ぶことでその国民性をインストールすることができる。

と信じていますし、 このように自己改造を果たせることが、語学学習の究極の利点であると思っています。

例えば英語にはどのような国民性が埋め込まれているでしょうか?


英語圏に留学や旅行したことがある人はピンとくると思いますが、彼らは開放的で他人の目を気にせず自分らしく生きる考え方を持っていますよね。

語学力の吸収に次いで起こる、国民性の吸収。
そこからの自己改造。

こればかりは自らの手で英語を学ぶことによってしか実現できません 。

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今の日本で生きづらさを感じている方々。
大方次のような理由ではありませんか。

・ 他人の目が気にし続ければならず、ストレスだ
・空気を読むことを強要され、 自分らしく生きられない
・周りに迷惑がかかると言われ、退職しようにも退職できない

以前少し書きましたが、これら三つの共通点は「恥の文化」に由来することです。詳しく知りたいという方はこの記事が参考になるかもしれません。

恥の文化と日本人の国民性について


文化とは枠組みのことで、
日本に生まれた時点で、日本の常識の枠組みの中で、大きくなっていくことは約束されていました。


それは過去です、変えられません。


しかし今このブログの読者の皆様の多くは、成人し、あるいはそれに近い年齢で、日本という枠組みの外に別の世界があることを知っています。


それに今この記事を読んでいるわけですから、

英語を学び英語式の考えを身につけることで、あなたを取り囲んでいる日本文化の檻から抜け出すことだって可能なわけです。 


檻の性質上、
他人が出してくれるか、自分から出ていくか、
この2種類しか出る方法がありません。


もちろん前者の場合のように白馬の王子様が現れる確率は極めて低いです。

だとすれば自力で出て行くしかありません。


どうやって?


外国語を学び、今までとは違うマインドセット、及び行動規範を身につけることによってです。

ポケトークに頼り切りの状態とは、成長する機会をみすみす手放しているようなものです。人の成長は、ハプニングがあり、苦しみがあることで成し遂げられるのではないでしょうか。

外国語学習には一定の苦しみがつきものですが、その裏返しは成長できる機会の大きさです。

人から「成長したい」という欲望がなくならない限り、語学学習の需要はあるのだと私は思っています。

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そんなわけで冒頭で、
ポケトークの出現で英語学習の役割が、「自己変革を促す起爆剤」へと変わった人が増えるにつれ、自分自身の定義を自分で更新し続ける「たくましい」人が増えていく社会になっていくだろうし、そうであってほしいものです。

まとめ

【1】会話のノリに沿った英会話には自力で英語を話すスキルが必要だから
  →翻訳機にはタイムラグがあるから
【2】信用に響く言い間違いを防ぐには自分で話すしかないから
  
→誤翻訳による信用の失墜を防ぐには自分で表現をするしかないから
【3】言語の構造上、日本語から英語の翻訳には限界があるから
  →日本語は高文脈言語だから
【4】その言語が持つ考え方を吸収するには自分で学ぶしかないから
  →自己成長に繋がるから


本記事が皆さんの英語学習の糧になったことを祈って、

それではまた!

PS

英語学習、頑張ってみようか、という方向けの後押し記事です。もしよかったら合わせてお読みください。



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