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短歌を始めること。やめること。

 

言葉の選択というもの


とある短歌大会で、審査員を担当していた歌人がこう言っていた。

「この大会が終わっても、ぜひ短歌を続けてください」

正直に言って驚いた。それは、応募者思いだなと感心したという意味ではない。よくそんな残酷なことが言えるなと、半ば呆れてしまったのだ。
NHKなどのコンクールであれ、短歌甲子園などの大会であれ、総合誌などの賞であれ、常に残るのは圧倒的な数の「戴冠できなかった人たち」だ。全国規模の大きな大会になればなるほど、その一回のために総力を尽くして作品を仕上げたにもかかわらず、受賞できなかった人が多く出ることになる。
これが総合誌の賞なら、まだいい。雑誌がある限りは出すチャンスがある。しかしこれが短歌甲子園など年齢制限のある場であれば、こんな残酷な言葉はないだろう。負けた学校はまた出場できるかわからないし、最終学年の高三であれば、もう戴冠は叶わない。本気でやればやってきたほど、敗北した悔しさは強烈なはずだ。
そんな人生でもトップクラスの挫折を今まさに味わっているであろう生徒たちが何人もいるような空間で、短歌を続けろなどという言葉を、少なくとも私は選択できない。ましてやこうした大会の場で放たれた「続けてください」という言葉は、発言者本人の考えはどうあれ、受け取る側にとっては必要以上の重さを伴う十字架にもなりかねない。
真面目にやってきた人間ほど自分を責めるだろう。他人や部外者ではなく。だとすれば、その時点で短歌をやめても全く責められない。かけたいのは短歌を続けろという言葉ではなく、ねぎらいの言葉だけだ。

始める前から挫折する


少し導入が長くなったけど何が言いたいのかというと、短歌を始めるのも続けるのも、ずいぶん大変な時代になったなあ、ということだ。どういうことか?
SNSには過去の傑作も、今日新たに詠まれた作品も溢れている。そのため、誰かがさて短歌を始めようかと思っても、そうしたキラキラした作品を目にすることで「自分にはこんなもの詠めない。才能がないから諦めよう」となる可能性も、ここ最近で一気に上がった感じがする。仮に、その人には素晴らしい歌を詠む才能があったとしても。これはなかなかしんどい。
私が短歌を始めた2017年の梅雨頃は、少なくともここまでではなかったように思う。各SNSでここまで短歌はあふれていなかったし、ネットで短歌をやるなら「うたの日」が第一選択であり、そこで下手なりに一歩一歩やっていけばよかった。
ところが、最近はそうも言ってはいられない。短歌を詠んだり触れたりできる場があちこちに出現し、しかも最初からうまい人が多い。もし自分が今まで短歌に触れていなかったとして、2025年の2月に短歌を始めていたかとなると、確実に始めてはいなかったと思う。周りが凄すぎるのだ。

継続は力、ではないかもだけど


じゃあ2017年は平和だったのか?となると、別にそうではない。うたの日にはすでに凄い歌を詠む方は何人もいたし、自分が詠み始めてからも新たに優れた歌を詠む人が続々と入ってきた。当然、自分の歌が特別優れていたとも思えない。もっといい歌を詠む人はいくらでもいた。
しかし、そうした優れた人たちは様々な事情で歌をやめられたり、別の分野に行ったりされた。うたの日は良くも悪くも入れ替りの激しい場所だから、なんとなく出し続けていた自分が、なんとなく今日まで短歌を続けてしまっている。単にそれだけの話だ。才能どうこうという話ではなくて。
言うなれば、それは単にやめるきっかけがなかったとか、他に移るジャンルがなかったとか、それだけの話なのだ。

やめたければ、いつでもどうぞ


うたの日や短歌だけに限らず、なんとなく親しみを感じていた人やずっとこれをやり続けるんだろうなあと思っていた人が急にいなくなるのは、残念ながらよくある話だ。昨日まで隣に停めてあったはずの車が急にいなくなって、それから持ち主が帰ってこなかったような、そんな感覚が近いかもしれない。
ただそれは、その人がどこか別の場所に旅立ったのだと思うようにしている。他に楽しいことを見つけたとか、私生活が充実して短歌に時間を割けなくなったとか。つまりそれは、その人の人生において他に大切なものが見つかり、短歌が必須ではなくなったということだと思う。
だから最近短歌を詠まれていないなと思っていた方が急に結婚や出産のされると、いつもにこにこしてしまう。
仮にそれが私の好きな歌人でも、(私家版であっても)歌集を出されていたりして将来を嘱望されていた方でも、その人が短歌と別れを告げても充実した生き方をされているなら、私に言うことはないのだ。ただ、名前と作品だけは忘れないようにしたいけど。
そして「やめる」といっても退学したりクビになる訳ではないから、いつ戻ってくることも可能だ。もしまたどこかで新しい作品がよめたら、それはとても嬉しい。

あなたのいつかの季節に


最初にも書いたけれど、いまは短歌をやり始めるのがなかなか大変な時代だと思う。しかしそれでもやるなら、ぜひ気負わずに、いつでも止めてやるんだくらいの気持ちで気楽にやってほしい。
気負いすぎたら確実に続かなくなるので、とりあえず周りにいるとんでもない人たちの姿はできるだけ意識せず、好きな歌集を見つけたり、間隔を開けてもいいから自分なりのペースで詠んでいってもらえたらと思う。
よほどの天才なら、とんでもない量の燃料を積み込んで猛スピードで走れるかもしれないけれど、大抵はそうではない。ゆっくりと燃費よくやっていくことが、遠くまでたどり着く一番いい方法だと思う。
そしていつやめても構わない。これは個人的な感覚だけど、同じくらいの時期に詠み始めた人で今でも定期的に歌を発表している人は、たぶん全体の2割か3割くらいな気がする。止めるのが当たり前なのだ。
ただ止めても続けても、あなたの人生のいつかの季節に短歌というものがあって、それをいつか懐かしく思い出す時があれば、それはなかなか素敵なことじゃないかな。
もしかしたら今日が、いつか思い出す美しい季節になるかもしれないから。
 

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