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眞葛焼講演会③

🍵横浜のやきもの、宮川香山を推すnoteにようこそ🐉
毎週大体木曜日に更新しております。どうぞゆっくりしてくださいまし。
🍵今回は、横浜歴博で行われた、山本博士さん登壇の講演会の記事の第3回、
最終回になります。

🍵では今日もひとり言から始めます。
目次をどうぞご活用ください。

今日のひとり言

先日、横浜歴史博物館の常設展に足を運んだのですが、縄文土器作り体験でお世話になった考古学専門学芸員さんの動画がシアターで流れていました。遺跡初心者に分かりやすく見やすい動画でした。Youtubeでも見られると聞き、せっかくなのでここにその動画を貼ります。

神奈川県域には貝塚、集落址、古墳、横穴墓など、わたしたちの遠い祖先の遺跡がおよそ7,500カ所もあり、全国的に見ても遺跡の多いところとして知られています。このように多くの遺跡があるのは、この地域が温暖な気候と、東京湾と相模湾という二つの湾に面し、西方に箱根や丹沢をはじめとする山々を背負い、動植物の繁殖に適した丘陵地帯と平野に恵まれたため、各時代を通じて素朴な生活を営んでいた人々にとって、大変に住みやすい場所であったからだと考えられます。

神奈川県ホームページより

大昔の人たちにとってこの土地は、
山の幸海の幸が豊富にとれる楽園だったのかもしれません。
縄文土器づくりで疑似体験した素朴な生活。
文字情報では得られない学びがたくさんありました。
土練りの驚く程の大変さを3日間に及ぶ筋肉痛で体感し、
土器文様の工夫やこだわりを縄文のための縄よりから作って
その楽しさに没頭し、
煮炊きして屋外で食べた貝と鴨のスープの意外なほどのおいしさ……
きっと、文明の初期の生活も、
不便なりに楽しかったんだろうなあと思うのです。
むしろ、全ての行動が生活に直結していることで、
現代人よりも幸せな部分も、
大いにあったのだろう、と想像できるのです。

それにしても……

レックルくんが飛び出して案内してくれるシアター、
もうやっていないんですね😢
アンケ―トに『シアターの内容一新のうえ、再開希望』
を記入しました。他の人も同じ気持ちだといいなぁ……

山本さんによる眞葛焼講演会③

「開港都市横浜が育んだやきもの 眞葛焼」

2024年2月25日に開催された
横浜歴史博物館主催の特別講演会に行ってきました。
登壇された講師の山本博士さんは眞葛ミュージアムの館長さんです。
この山本さん、偉大な方なので、
「山手133番館」「モンテローザ」「山本博士」
で検索してみてください。
テレビや新聞など様々なメディアで活動を紹介されている、
横浜の著名人です。

今回の講演会は、ぎゅっと新知見が詰まっていて、山本さんの造詣の深さに、講演会関係者も舌を巻く内容だったようです。終始興奮の2時間弱でした。

香山のコラボについて

香山は事業者として、当時から画期的な仕事に挑戦していました。他の工芸や芸術家とのコラボもその一つ。漆器や鋳金、海外デパートとのコラボもしています。
山本さんは、ティファニーとのコラボも現在探していらっしゃるとか……

芝山漆器の芝山象嵌が眞葛焼に入っている。明治期にコラボしていた。
金工の鈴木長吉(帝室技芸員)「十二の鷹」という作品が有名。鋳金の作品多数。
香山の花器に鋳金で龍の意匠があしらわれているが、これは鈴木長吉のコラボではないかと考察されている。
尾張七宝の赤七宝はとても難易度の高い技術。
尾張では明治13年に成功した技術だが、その翌年明治14年にはこの赤透(あかすけ)を香山が陶器にて成功している。現存する作品は一つしか発見されておらず、眞葛窯跡からもその片鱗は見つかっていない。

七宝焼の資料として素晴らしい記事がありましたので貼ります。

他にも香山のコラボは海外にも及ぶ。
ロンドンの老舗デパートや、サンフランシスコでも銀装飾が眞葛焼に施され、銀装飾部分に彫り込まれた銘から何処とコラボしたのか明白である。

もし眞葛焼が今も続いていれば、もっと様々なコラボレーションをしていたでしょう。
大変に惜しいことです。山本さんはティファニーとコラボしていて欲しいそうですが、
私個人的には、レディーガガさんとかキティちゃんとかとコラボしてほしいです。

3代香山次男博明さんの出身校

三代次男の博明さんの通っていた川崎の高校の名前は、法政大学第二高校。

川崎の高校という情報は知っていましたが、具体名は今回初めて聞きました。
ここに居た事で博明さんは戦火を免れることができ、姉二人と共に、
宮川家で助かったのはこの3人だけだったといわれています。

香山作品を購入する人たちも一流

ニューヨーク5番街の大富豪、ウィリアム・ヘンリー・ヴァンダービルトさんが、香山の作品を家に飾っていた。

このウィリアムさん、海運業・鉄道事業で財を成し「提督」の異名をとったコーネリウスの長男として1821年に生まれ、父から相続した1億ドルを倍近くに増やし、世界一の富豪となった。

「鉄道は『親愛なる市民』のために動いているのではない。これに関しての批判はナンセンスだ。投資をすることによって利益を得る人のために動いている」と記者に語った。

この情報は、山本さんのご著書
「初代宮川香山 眞葛焼」に写真と共に載っています。
この御本、先日横浜歴史博物館でも販売されており、
眞葛ミュージアムでも販売されていたので、
美麗な作品写真を見たい場合にもおススメです。

香山の事業者としての手腕 その挑戦

初代香山は4回新聞広告を出している。
第一回勧業博覧会の土産物品として、お客様のかかれたものを不忍池の泥を使い転写して焼く。20分くらいでできる。と書いてある。起業家としての香山の力がみえる。
しかも、アメリカの新聞にも掲載されている。
特にスゴイのが、英語が通じる。世界中に発送する。工場見学ウェルカム。見学無料。執拗な営業はしないと明記。
50銭から100円まで、多くの品を取り揃えている。

現代に通じるこの展開法を、明治期に行っていたというからスゴい。
自分の陶をどう売り込むかを、香山は常に摸索し行動してきたのです。

質疑応答

ここからは、講演前に会場スクリーンに映されていたQRコードのGoogleフォームから、山本さんに直接質問が出来るとのことで、山本さんがそれらの質問すべてに丁寧に回答してくださったので、その一部をここにご紹介します。

現代陶芸家によると、昨今の文明の進歩でデジタル温度計や電気窯はあるが、当時の登り窯の作品には敵わない、という。

たしか、現代技術があれば再現は可能かという質問だったはず。
私後ろの席に居たので、スクリーンに映された質問一覧が見えなかったのです……

問:関東大震災の時眞葛窯は?
答:休止。被害はあったが、一年で復興。

問:土の採取はどうしていた?
答:薩摩焼の窯、沈壽官から買っていたという記録もある。

問:山本さんは海外に渡って眞葛焼を里帰りさせているそうだが、主にどこから?
答:アメリカとイギリスが多い。

問:初代香山は高浮彫と釉下彩、どっちが好きだったと思うか?
問:自分(山本さん)が思うには、
達成したから次をやりたい。誰もやらなかったことをやりたい。
これが香山の性格だと考える。なのでどれが特別気に入っていたという感覚ではないと思う。京薩摩の金彩の代わりとして発明されたのが高浮彫で、中国の清朝陶磁の再現の追究の末の結果が彩磁である。

問:弟子と香山の関係性は?具体的なエピソードはあるか?
答:井高帰山の談話にもあるが、コートを買ってあげたり、弟子から見れば香山は神仏のようだった。他から声をかけられても、弟子は香山の許を離れようとはしなかった。

🍵記事を最後までお読み下さってありがとうございました!!
🍵横浜の宝、宮川香山のこと、どうか覚えていってください。
🍵来月から、神奈川文芸賞の募集が始まるので、眞葛焼小説の応募をしようと考えています。行動あるのみです。



参考資料:今回、講演会で山本さんがお話されていた内容をメモしたものから引用しました。山本さんから情報の引用のご許可は事前に頂いておりますが、ご指摘を頂きましたら、この記事はすぐに削除致します。

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