【Essay】名前のある関係性、名前のない関係性
大学院の入学式のこと。
これから一緒に学んでいく同級生たちにばったり会い、一緒に記念写真を撮った。その中の一人が、その写真をさっそく家族に送り、返信が来たという。
「友達できて良かったねって言われた」
入学式と言えども、授業開始からすでに1週間が経っていた。初めて先生や同級生に会うようなドキドキはもう味わえないのだけれども、こうやって友達と一緒にまわれるのもいいものだと思っていた。その時だった。彼女がどこか不安げな眼差しをもって呟いたのは。
「え、あの…(あなたは私の)友達ですよね?」
何と答えたのかは、もう覚えていない。何か答えたのだろう。いや、何も答えなかったのかもしれない。ただ、覚えていたことといえば、「友達」であるためには「承認」が必要なのだろうかという問いだけが、頭の中を駆け巡っていたことだ。
***
「友達」って何だろう?
まだ幼い頃に抱き、思春期で拗らせるような懐かしい問いが舞い戻ってきたのは、決してその時が初めてではない。タイからの交換留学生が、そのときの彼氏との話を聞かせてくれた。
どうやら彼氏さんから告白したらしいのだが、すぐには付き合わなかったという。
「コン・クイって知っている?プアン(เพื่อน, 友達)がフェーン(แฟน)になる前に、本当にお互いが付き合えるかを確かめるために、タイ人はコン・クイの期間を挟むの」
コン・クイ(คนคุย)とは、直訳すれば「話す人」だ。なるほど、タイ語には「友達」や「恋人」というカテゴリーの間に、「コン・クイ」というカテゴリーがあるという。相手に気があることを知られながら恋人でない関係性を築くなんて。自分だったら恥ずかしくて相手の顔すら見られないだろう。でも、そうしたら結局、どこまでが「友達」で、どこからが「恋人」で、そもそも「コン・クイ」ってどんな距離感なのだろう。素直に聞いてみた。
「うーん、日本語だって『友達以上、恋人未満』ってあるでしょう?あんな感じじゃない?」
今度は日本語の世界に新しいカテゴリーが生成された。もちろん結論は出ず、お酒だけが進む夜だった。
出会ってきた人の数だけ、関係性のカタチはあるはずだ。しかし人は、それに何か名前を付して、関係性を固定しようとする。いや、固定されてしまっていると言ってもいいだろう。「友達」という言葉で括れば、「友達でない」というカテゴリーが生まれる。そして、誰かに「友達」として括られたのであれば、どこか「友達」を演じ切らなければいけない気がしてしまう。ある関係が「友達」という言葉で表現された瞬間に、「友達」という言葉は勝手に磁場を帯びてしまう。そしてその磁場が集合的に束ねられたとき、「友達」という概念が広く構築されるのだ。
だからこそ、「友達」には「承認」が必要なのかもしれない。もちろん「恋人」にも承認が必要なのだろうし、「コン・クイ」にも承認が必要なのだろう。
資格社会ならぬ承認社会とでもいうのだろうか。
まあ、このような構築主義は社会学の基本だ。「基本」的な事柄と言われればあたかも当たり前なことに聞こえるが、現にこのような関係性をめぐる言葉の磁場に息苦しさを感じている人は少なくない。自分もその一人だ。
同じような話を、かつて指導教員にしたことがあった。ちょうど、別の先生のトラブルに巻き込まれてきた頃だったと思う。
「名前のついた関係は嫌いなんですよね」
笑みを浮かべながら、彼は穏やかな口調で答えた。
「ランプー、それは無理な話ですよ」
タイ人ではあるものの、自分よりも流暢な日本語で返されてしまった。
人は属性に縛られる。しかし、人は他人を属性に触れずに判断することなどできるのだろうか。
できないのだろう。だからこそ、それを嫌う人も、上手に使う人もいる。関係性も然り。
名乗りと名付けの相互作用。そうやってこの世界の関係性は構築されていく。
でも本当に名乗らなくてはいけないのだろうか。
名付けなければならないのだろうか。
翻訳できない関係性を、翻訳しないで築いていけないのだろうか。
それは、言葉というもので構築された自己に対する挑戦だ。挑発と言ってもいいかもしれない。
いや、しかしこれ自体も「挑戦」とか「挑発」とかという言葉で言い表せない何かだ。
もちろん、だからこそ概念を撹拌する外国語の「翻訳」という作業は楽しいのだけれども。
***
入学式から経ったある日、「友達」を連れた彼女に教室でばったり会った。入学式で「友達だよね?」と聞いてきた、あの彼女だ。
彼女は「友達」に僕を紹介してくれた。
「友達のらんぷーくんです」
僕が簡単に挨拶を交わしたとき、彼女はニターっと微笑みながら、こう呟いた。
「え、あの…友達ですよね?」
何と答えたのかは、もう覚えていない。何か答えたのだろう。いや、何も答えなかったのかもしれない。ただ、覚えていたことといえば、「友達」という言葉でわざわざ確かめ合わなくてもいいほど、慕える関係性を彼女とは築けているのかもしれないということだけだ。
もちろん、こちらが一方的にそう思っているだけなのかもしれないけれども…笑
***おまけ***
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