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青春のありか:煌めく瞬間に捕らわれて×MANISH

らむです。今日は夕方に差し掛かる前あたりで走りに行きました。今日も風が穏やか、天気も良好で、最高に気持ち良かったです。

日差しが強めでしたが、
海がキラキラするのが綺麗で、
とても癒されました。

昨日に引き続き、今日も好きな音楽の紹介へ。MANISHの「煌めく瞬間に捕らわれて」について、自分の過去の経験談なども織り交ぜ、綴っていきます。


アニメのスラムダンクでエンディング曲として流れていました。確か小学校の夏休みに再放送として、10時半頃からやっていたのを覚えています。絶対に10時半までには起きて、続きが気になって見ていた。それがスラムダンクとの最初の出会いだったのを覚えています。スラムダンクで採用されている音楽はどれも大好きなのですが、私はこの煌めく瞬間に捕らわれてが一番好きです。曲のリズム感が自然と体を左右に揺らしたくなるような感じであったり、高くて美しい声で歌われていて、何度も聴きたくなる気持ちにさせてくれます。歌詞もとっても素敵で、「後悔する、素敵じゃない」って言葉に救われる気持ちになれたりします。聴いていると、何となく三井寿のことをイメージさせるような歌詞だなと思ったり。

今日のランニングでも聴いて、キラキラした海、澄み渡る空、心地良い風も相まって、最高に爽やかな気持ちにさせてくれました。合わせて、過去の煌めく瞬間を少しだけ思い出させてくれました。


小学校4年生まで、私は野球のクラブチームに入っていた。進んで野球をやりたかった訳ではない。叔父さんが野球を大好きであったり、高確率でテレビはプロ野球中継を映してたり、何となく野球が身近にある家庭であった、そういった背景があり、自然と野球を習うようになっていた。
しかし、野球は突然やめることになった。監督と親が少し揉めてたり、他にも色んな理由があったのだと思うのだが、私としては土日に早起きしたり、きつい練習をしなくてよくなった、ラッキーだなと思っていた。

ただ、ラッキーだと思っていたのは束の間だった。

野球をやめたことで、学校生活で友達から無視されるようになった。私の思い違いだった可能性もあるが、少なからず避けられているということは感じられた。いつも野球クラブチームの友達と休み時間を過ごしていたのだが、どうやらやめた私を無視するように、そんな指示が出ていたようだ。誰が首謀者なのか、大人ぐるみで関与していたのか、わからなかったし、やっぱり私の勘違いだったのかもしれない。でも狭い世界しかまだ知らない小学生の私にとっては、それなりにこたえるものがあって、あの時の風景や感情を今も強く記憶している。

2時間目終わり後の中間休みと昼休みは一人きりで過ごすことになった。一人でいる姿を見られるのも、何か決まりがわるいので、学校内の暗めなところ、体育館裏や貯水タンクのようなものの裏側に行って、静かに硬い地面を掘って黒曜石を集める、そんな日々を過ごした。黒曜石がいつもよりキラキラしていたのは、石の特性ゆえか、それとも自身の目からこぼれ落ちた涙のおかげか。

そんな日々を過ごす中で、一人の小学生「K」が私に声をかけてくれた。

「バスケットは好きかい」

意図的に少し畏まって、大人ぶったような、何かの真似をしたような声色で私に問いかけた。当の本人はきっと覚えていないと思うが、今振り返ると、あれはスラムダンクのヒロイン晴子さんのセリフ「バスケットはお好きですか」を安西先生風に言おうとしたのではないか、そんな風に感じた。

Kとはそれから友達になった。休み時間は黒曜石収集から全てバスケをやる時間に変わった。Kはミニバスケットボール(以下、ミニバス)という小学生向けのバスケクラブチームに入っていて、そこのクラブに所属している友達も紹介してくれた。ドリブルの仕方から、基本のレイアップシュートまで、なかなか上手くできない私に根気よくマンツーマンで教えてくれた。

学校の景色が一変した。暗いところが明るい学舎に。夜も眠れるようになって、暗闇で過ごす時間が少なくなった。そして、何よりバスケットが楽しかった。心から夢中になっていた。

中学生になり、Kとミニバスの他の友達はバスケ部に入った。私ももちろん入部した。みんなミニバス上がりだったので、とても上手い。そのためスタメンには卒業までなれなかった。最初の先生はとても厳しく基礎を重んじていたのと、私は控えのベンチメンバーだったので、練習内容は体育館ステージの上でドリブルやハンドリング練習ばかりだった。それでもやめたいなんて思わなかった。楽しかった。フリーの時間でリングを使って、シュートを打つ時間にとても心を躍らせていた。

朝に早起きしてKと沢山特訓もした。体育館は鍵がかかって空いていないので、学校敷地内にある外コートを使った。使われなくなった、少し舗装が剥がれたテニスコートに、リングに網がかかっていないバスケットゴールだったが、それで充分だった。3メートルくらいのフェンスでコートは囲われていて、鍵がかかっていたが、よじ登って練習スタート。シュートをひたすら打ったり、Kと片付けの罰ゲームをかけた1on1勝負。いつも負けてばかりで、1度も勝てたことがなかったが、少しづつ自分が成長していく実感を得られていた。それに何よりもシュートを打っている時が、家庭の問題や暗い気持ちなどを全て吹き飛ばしてくれる煌めきの瞬間だった。

中学3年生、最後の大会。私は相変わらず控えのベンチメンバーだったが、チームは順調に勝ち上がっていった。地区大会の決勝戦、最終ピリオドに味方である背番号4番のエースでキャプテンの子が足をつってしまった。大会は1日に2試合やったりするスケジュールだったので、かなり疲労が蓄積されていたのだ。それまで良い試合の流れであったが、一気に点差を離されていった。背番号4番の子が歩くのも困難になったタイミングで、私と交代することになった。Kは司令塔のガードとして試合に出ていたが、私には「リバウンドとディフェンスだけを頑張ってくれればいい」と声をかけた。

Kの指示どおりに立ち振る舞う予定だった。この正念場で余計なことはできない、緊張もしていたのでミスをしてしまいそうで、少し萎縮してしまっていた。それを察したのか、敵は私のマークを外して、Kや他のメンバーにダブルチームでプレッシャーをかけるディフェンスに変えてきた。ますます流れは悪くなるばかりだった。

オフェンスで苦しい時間が続く中、いよいよノーマークである私にパスが回ってきた。交代時はKの指示どおりにプレイすると決めていたし、緊張でガチガチだったはずなのだが、気づいた時には手からボールが離れていた。1秒後くらいにリングにボールが入り、ネットが揺れる「ふぁさ」って音が聞こえた。私が放ったシュートはスリーポイントだった。しばらく無得点であったタイミングでの3点、しかもノーマークにしていた相手から得点を取られた。相手チームは若干混乱し始めているように見えた。

それでも相手はまだディフェンスのスタイルを変えない。Kや他の味方に二人がかりでプレッシャーをかけてくる。苦し紛れのKからのパスが私に届いた。私はまた無意識にボールを手から放っていた。また入った。スリーポイント。完全に流れが変わった。私たちの学校は地区大会で優勝をした。

地区大会の後は県大会に進んだが、変わらず控えのベンチメンバーで、ほとんど引退まで、私には出番が回ってこないで、中学バスケは幕を閉じた。あの地区大会の決勝戦が、私がスポーツにおいて一生に一度、ヒーローのような気分を味わえた瞬間だった。

あの瞬間をひとりで思い出しては、少しだけむふふ、とニヤついてしまう。Kがあの時、声をかけてくれたことで、バスケに出会え、そんなちょっとした誇らしい思い出も私にはできた。改めて感謝の気持ちが込み上げてきた。

そして、もしかしたら、これらが私の青春だったのかもしれない。


バスケをやっている時は間違いなく、煌めく瞬間で心を捕らわれていた、そんなことを思い出させてくれる、私の大切な一曲です。




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