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息継ぎのできる暇を:あの夏へ×久石譲

らむです。今日も三重県の南部にいます。昨日は散歩だったので、今日はちょっと頑張って軽くランニングをしました。快晴かつ気温も高めで、とても気持ちの良い走りができました。

広大な海と真っ直ぐに続く道。
改めて走る喜びを感じられるような道でした。

昨日に引き続き、今日も好きな音楽の紹介へ。久石譲さん作曲の「あの夏へ」について、自分の観点なども織り交ぜ、綴っていきます。

アニメ映画、千と千尋の神隠しで流れていました。千と千尋の神隠しは、小学校2〜3年生の頃に母が映画館へ連れて行ってくれたのを覚えています。なぜ連れて行ってくれたのかまでは覚えていないのですが、小学生ながら、ジブリならではの映像美や、一度聴いたら忘れられなくなるような音楽に感動したのを覚えています。それから歳を重ねても、私にとって千と千尋の神隠しは、金曜ロードショーや、わざわざレンタルショップにDVDを借りて、何度も見返すほどに大好きな作品となっています。

「あの夏へ」はとてもシンプルなピアノで奏でられる曲です。シンプルではありますが、感情に語りかける力は強大です。切なさ、愛しさ、懐かしさ、穏やかさなど、様々な感情が湧きたてられる、そんな曲と私は捉えています。

今日のランニングでは折り返しの5kmに到着した際に、靴紐もほどけていたので、結び直して軽くストレッチをする、ひと休憩を挟みました。その時に、あの夏へを聴いて、ただのひと休憩が、至福の暇になりました。

今の世の中、物凄いスピードで様々な事柄が目まぐるしく動き回っているように感じられます。それは言い換えると進化ともいえるのかもしれませんが、私が幼かった頃から今まで、こんなにも激的に世の中が変わるなんて、思ってもいませんでした。世の中に遅れまいと、取り残されまいと、日々自身をアップデートする毎日。新たなものや時代に追いつこうと、自身を磨き上げることは素晴らしいことですし、私もどちらかというと好きな方です。

でも、ひとりで静かに海辺でこの曲を聴くとこんなことも思うのです。息継ぎは必要なことだと。

これまで、特に20代は、普通を得るためにがむしゃらに日々を削ってきた。休む暇もあまり取らず、ただただ走り続けてきた気がします。走りながら、成長する自分を感じて、何か得意げになったつもりにもなっていました。でも、自ら零した沢山の幸せに気づかず、あとあと後悔することも、少なからずありました。

今ではたまには息継ぎも必要だと思えるようになっています。今日のランニングのようという訳ではありませんが、なるべく少しでも暇を取って、考えたり、その一瞬一瞬を味わうことを大切にしています。生産性を感じられない時間と捉える人もいるかもしれませんが、かえってクリエイティブな考えが浮かんだり、次の仕事や取り組むべきことに前向きになれたり。大切な人に向き合う時間を丁寧に過ごせたり。私にとっては立ち止まることは一つの必要事項と今ではなっています。

あの夏へは、自分の時間を見つめ直す、息継ぎのできる暇を持つことの意味を、私に教えてくれた、大切な一曲です。


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