第一章 価値と適合性 はじめに
市場が均質なものではないことはよく知られている。そして、この市場の非均質性は、市場成員の選好の違いとして説明されるのが一般的であろう。たとえば、朝食にパンを食べるか、米飯を食べるかは、それを選択する人の好みの問題である、というように。そして、このような選好は、実際の統計調査によってのみ把握されうる、と考えられることも少なくない。
しかし、あるひとつの物事の選好は、他の物事の選好と相関関係にあることが多い、ということもよく知られている。たとえば、朝食にパンを食べる人々は、例外は少なくないにしろ一般的には、洋間に住み、ベッドで寝ていることが多いと思われる。そこで、このような相関関係の深い複数の選好によって、市場成員をマーケット=セグメントに分割し、そのそれぞれのセグメントを特徴づけることができる。このセグメント化には、性別や年齢などの主体そのものの属性も特徴の一端となる。そして、このようなセグメントの選好や属性の特徴は、そのセグメントの「ライフスタイル」と呼ばれる。
この「ライフスタイル」もまた、実際の統計調査によって把握することができるが、しかし、複数の選好や属性の相関性は、たんに偶然的なものではなく、そこに内在的な論理が働いている、と考えるべきである。これを、たとえば、ある主体がアメリカン=ライフスタイルの特徴に属する複数の選好を示しているとき、その主体はアメリカン=ライフスタイルそのものを選好している、などと言っても、説明にはなっていない。そうではなく、むしろ主体の選好に以前に、ライフスタイルに属する物事のそれぞれに構造形成要因が内在している、と考えることができる。たとえば、洋間であれば、ベッドで寝るという選好を強化するということは、もはや論理的な問題である。
もちろん、このように構造形成要因を持つ物事も、その端緒は、主体が選択したものである。とはいえ、その主体は、成育形成過程においても、すでに構造形成要因を持つ物事に触れ、内面化している。この主体とライフスタイルとの内化と外化の関係、そして、その歴史的構造という問題は、生活の経営学的問題であり、この問題は、いわばエコノミーの源義である《家政学》として探究するに値すると思われる。
このような《家政学》として、その生活経営主体は、個人だけでなく、組織や社会についても考えることができるだろう。つまり、《経営学》は、個人と組織と社会の三つのレベルを想定すべきものである。しかるに、従来の《経営学》においては、おもに組織の経営のみを無前提に独立して考察してきた。しかし、組織も個人や社会との関係においてこそ成り立つものであり、それゆえ、これらの三つの経営主体レベルの《家政学》とその相互関係(マクロ経営学)が、《経営学基礎論》ないし《経営経済学》としてあきらかにされなければならない。
この点に関し、東洋的な発想においては、かつて〈修身・斉家・治国〉ということが言われた。しかし、現代において、個人の経営と組織の経営と社会の経営を単純なアナロジーで考えることはできまい。なぜなら、現代では、個人は組織に対して、また、組織は社会に対して、世襲服従的ではなく自立選択的であるからである。この変化は、近代において成立した、関係や行動に関する〈市場性〉によるところが大きいだろう。
個人や組織や社会という生活経営主体の市場的選択性を考察するにあたって、その根本的な基礎となるものは、その選択の基準となる〈価値〉の概念であろう。それゆえ、この章においては、きわめて問題を限定し、物事の選好性を決める〈価値〉の概念、そして、その選好性が成り立つ条件である〈適合性〉の概念について考察する。
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