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第一章 価値と適合性 6 適合可能性と有意味性

第1節において、一つの物事も多面的な〈意味〉を持ち、それぞれの〈意味〉において、大小(ときにはマイナス)の〈価値〉を持つことがあきらかになった。そしてまた、このような〈価値〉は、その物事に固有ではなく、主体がその物事をある状況に持ち込むことによって、主体が引き出す、ということが理解された。もっとも、この場合にも、〈価値〉、すなわち〈意味〉の機能する程度、が変化するのであって、〈意味〉そのものは、その物事に基本的には固有である。基本的には、というのは、その物事が持つ〈意味〉は多面的であって、歴史的変遷において、そのいくつかが忘れられ、そのいくつかが加えられ、わずかずつ入れ代わっていくことがある、ということであった。

しかし、主体がその物事をある状況に持ち込むとはいえ、その物事を持ち込むことができるのは、ある種の特定的な状況だけであろう。たとえば、いかに大きなマンションに住んでいても、象を飼うことはできない。では、ある物事を持ち込むことができる状況は、どのように特定されているのだろうか。

たとえば、なぜマンションでは象を飼えないのだろうか。まず第一に、象は大きすぎ、また、重すぎる。象が住んでも壊れない部屋など、そう多くはないだろう。それに、食事も、象は大食であるにちがいない。散歩につれていくにも、いろいろと近所に気をつかわなければなるまい。

象の大きさや重さ、食事や散歩の問題など、これらのことも広義には象の多面的な〈意味〉のひとつと呼んでよいだろう。すると、マンションで象を飼えない理由は、前半での我々の分析からすれば、二つの種類に分けることができる。すなわち、ひとつは、大きさや重さなど、状況に適合させること自体が不可能であり、無意味である、というものであり、もうひとつは、食事や散歩の問題など、そのこと自体は状況に適合させることは不可能ではないが、しかし、小さい〈価値〉しか持たない、というより、マイナスの〈価値〉を持つ、というものである。

どうも問題を整理し直す必要がある。ある〈意味〉において状況に適合させること自体が不可能であるとき、無意味になるのは、その〈意味〉そのものではなく、その〈意味〉を持つ物事そのもののようである。たとえば、マンションでは象は大きすぎて飼えないのだが、たんにその象の大きさだけが無意味であるのではなく、象そのものからして無意味になる。これは、一つの物事は多面的な〈意味〉を持つが、その多面的な〈意味〉の一つでも状況に適合不可能である場合、その物事自体が無意味になってしまう、ということではないか。

ここにおいては、その物事が持つ、残る他の多面的な〈意味〉も、同時にすべて無意味になる。たとえば、マンションにおいて象が無意味であれば、食事や散歩の問題も無意味になり、これらの〈意味〉においてもマイナスの〈価値〉すらも持たない。

注意すべきことは、ここでは、〈意味〉や〈価値〉を持つ、ということが、いままでとは違う意味で言われている、ということである。いままでは、ある物事そのものがどのような〈意味〉や〈価値〉を持つかどうかのみを中心に考察してきた。しかし、ここでは、ある状況において、その物事が〈意味〉や〈価値〉を持つかどうかを問題にしている。いずれも同じく、〈意味〉が存在する、と言われるにしても、前者はあくまで潜在する〈意味〉や〈価値〉であるのに対し、後者は顕在する〈意味〉や〈価値〉であり、また、いずれも同じく、〈意味〉や〈価値〉を持つ、と言われるにしても、前者は、〈意味〉や〈価値〉を含む、ということであり、後者は、〈意味〉や〈価値〉を示す、ということである。

この区別は、先の、特定状況と類型状況の区別と混同してもならない。物事の適合性は、類型状況に関しても特定状況に関しても考えることができる。もっとも、ある物事は、ある類型状況に適合的であることが、その類型状況に属する特定状況に適合的でありうるための必要条件になっている。しかし、類型状況には適合的であっても、その特定状況には不適合であるということは少なくあるまい。

また、この区別は、先の、〈意味〉や〈価値〉の〈可能状態〉と〈機能状態〉の区別とも混同してはならない。まず、〈可能状態〉と〈機能状態〉の区別は、問題の物事がなんらかの状況に適合可能な場合にのみ、その適合可能な状況に関して、適合させる以前の可能的な〈意味〉や〈価値〉と、適合させた時点の機能的な〈意味〉や〈価値〉を区別する、ということである。したがって、もしその物事がすべての状況に不適合であるならば、ここでは〈意味〉や〈価値〉の〈機能状態〉はもちろん、〈可能状態〉すらも問題にならない。それは適合不可能であるから、〈意味〉や〈価値〉の〈可能状態〉そのものすらも持たない。逆に、その物事が状況に適合して〈意味〉や〈価値〉を示し、〈意味〉や〈価値〉が顕在するとしても、それは可能的な〈意味〉や〈価値〉にすぎず、いまだ機能的な〈意味〉や〈価値〉ではない、ということは少なくない。

しかし、ある物事がある状況に不適合であるからといって、その物事の〈意味〉そのものまで変化するわけではない。先述のように、〈意味〉そのものはその物事に基本的には固有であるから、たとえ状況に適合していなくても、その固有の〈意味〉を多面的に含み、多面的な〈意味〉は潜在している。たとえば、砂漠のヤカンは、水がないので状況に不適合ではあるが、しかし、熱砂でヤカンに穴でもあかないかぎり、その固有の〈意味〉は変わらない。もっとも、状況に不適合であるとき、〈意味〉はその物事に固有であるから潜在しているが、〈意味〉の程度である〈価値〉は、状況に相対的なものである以上、潜在すらもしていない、ということになる。

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