第一章 価値と適合性 4 類型概念と類型条件
以上のように、特定対象の特定条件における〈可能価値〉と〈機能価値〉の関係ですら非常に複雑であるが、しかし、我々は、さらに類型概念や類型条件における〈価値〉についても整理しておかなければなるまい。
前段において、ある特定対象の特定条件における〈可能価値〉は、その特定条件の状態の時間順序列に対応する〈機能価値〉の時間順序列の集合であり、その集合の〈機能価値〉の時間順序列は、それを確定する特定条件の状態の時間順序列と同じ実現の可能性の比重を持つ、ということがあきらかになった。
さて、これが類型概念である場合には、さらにこのような特定対象の特定条件における〈可能価値〉のすべての集合を考えるべきであろうか。類型概念の〈可能価値〉は、特定対象の〈可能価値〉を集合的に属有する。つまり、類型概念の〈可能価値〉は特定対象の〈可能価値〉より集合論的に1階上位にあるのであって、後者に対して前者は集合的な分布になる、ということである。このことは、〈可能価値〉が、〈価値〉として意味である機能の程度という量的なものではあるが、しかし、点的に確定されるものではなく、〈機能価値〉の分布として量的空間に濃度を伴って広がっているものである、ということである。また、同様に、〈類型概念価値〉も〈特定対象価値〉を集合的に属有する。つまり、〈特定対象価値〉の集合的な分布として〈類型概念価値〉は存在する。したがって、類型概念の特定条件における〈可能価値〉は、すべての特定対象の特定条件における〈可能価値〉の集合ということになる。そして、このように考えるとき、特定対象の類型条件における〈価値〉や、さらには、類型概念の類型条件における〈価値〉も、特定対象の特定条件における〈機能価値〉から集合論的に考察されるということになる。
しかし、類型概念の中には実際に特定対象として存在しないものもある。だが、それでも、その〈価値〉は考えることはできる。たとえば、タイムマシンの〈価値〉などが典型的であろう。また、同様に、類型条件が特定条件としては存在しない場合もあるが、この場合でも、その条件におけるさまざまな物事の〈価値〉を考えることはできる。たとえば、フランス王政が存続していると想定した場合の、あるフランス国王の王冠に関して、その現在の〈機能価値〉、未来の〈可能価値〉は考察することができる。
このような場合、その〈価値〉を決定するのは、類型概念ないし類型条件そのものであり、その類型概念と類型条件との間で成立する類型に固有の〈意味関係〉が問題になる。たとえば、フランス王政が存続していたとしても、もはや王冠は特別な儀式においてしか地位の象徴としての機能を持たなくなっているだろうし、また、将来的にはさらに用いられなくなるだろう、というように考えることができる。もちろん、この〈意味関係〉の考察は、関係の広がりにおいて主観的な想定を多く含み、予測的なものとなってしまうが、しかし、だからといって、このような類型概念における細部や類型条件に関する周辺の主観的な想定の余地と、対象と条件に基づく〈価値〉の客観的な決定性とを混乱させてはなるまい。想定にすぎないにしても、対象や条件が客観的に決定されるとき、それらが類型にすぎないものであっても、〈価値〉も客観的に決定される。
このことは、逆に言えば、類型概念や類型条件における〈価値〉に関して、実際にその類型に相当する特定対象や特定条件が存在する場合にも、その特定対象や特定条件は問題とはなってはいない、ということを意味している。たとえば、ある犬小屋が犬を飼っている人一般にとってどの程度の〈価値〉があるか、は、アンケートなどによって結果から主観的に決められるべきことではない。そうではなく、犬の種類や飼い方などによって、アプリオリ(事前的)に決まっている。
しかし、このような条件による価値決定性があるにしても、類型における多様性は、その内含する種類の違いとして、もとより合計も平均もできないものであり、その多様性に対応して、まさに多様なままに〈価値〉が分布していると考えるべきである。〈価値〉が点的に特定できない、ということは、〈価値〉がない、とか、〈価値〉を議論することができない、とかいうことではなく、ましてや、このような〈価値〉の定義の仕方が適切ではない、ということでもない。そうではなく、〈価値〉のこのような独特の分布的性質そのものを直視することこそ、我々に要求されていることである。そして、このように〈価値〉を点的なものとして特定できないとしても、分布的なものとしては、誰が判断しても同様である客観的なものである。
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