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スマホ遍路日記(226:七十七番道隆寺〜七十八番郷照寺)

【2023年12月2日(土曜日) Day 239】

 今日の歩数は久しぶりに2万歩を超えたが、それほど先には進んでおらず、札所七十八番郷照寺の3問で終わっている。コレはお寺を打ち終えてこれから出ていくところだと敢えて言っておきたい。


 今日の札所の話はひとつ前の七十七番道隆寺。このお寺は多度津駅の近くにある。多度津というのは四国の中でも有数の交通の要所だ。鉄道はここで予讃線(松山方面)と土讃線(高知方面)に分かれる。鉄道そのものは寂れてしまってもたいていの鉄道分岐点というのは町ができる。

 道隆寺はこの地の領主和気道隆わけのみちたかの名前を取ったものだという。本尊の薬師如来は昔から疫病平癒の薬師として慕われていたがことさらに眼の病に良いと言われていた。

 江戸の頃多度津京極藩初代藩主の三男で典医だった京極左馬造きょうごくさまのみやつこは生まれつき目が悪かったが道隆寺の薬師如来に眼病治癒の祈りをかけ続け視力を回復させた話が残り、左馬造の墓はこの薬師如来の隣に潜徳院殿せんとくいんでん堂として建てられ後の世に特に眼病に苦しむ人が本堂、大師堂を打つ要領で潜徳院殿堂の目直し薬師にもお参りをする。

 こんな話はどこかで言い伝えが美談になってと側から信じない人も多いし、そういったものであることも定説だと承知の上で書くが、僕自身一時期右目の眼底出血で視力をほぼ失くした事があった。

 眼底出血以前から道隆寺では視力がこれ以上下がらないようにと目直し薬師には毎回お参りをして眼病平癒の祈祷(歳の数だけめの字を書く)をし、お札をいただいていた。もちろんただの気休めでもっと言っちゃえばエアコンがよく効いた納経所にちょっとでも長居がしたいのでめの字をたくさん書いていたと言うのがホンネなのだ。

 右目の視力を失ってからも道隆寺に来るたび目直し祈願と目直し薬師の祈祷は(その頃は道隆寺でのルーティンでもあった)欠かしていなかったが、これが徐々に右目の視力が回復して今では多少の加齢黄斑変性のような歪んで見える現象は残るもののかなり見えるようになっている。

 この事からも世に言う「〜平癒」のお寺だの神社の中には本当に効果ありのものもあるんだと知らされた気持ちだ。もちろん全てに効果のあるものだと言うわけではないが、道隆寺は試すだけの価値はある。

 もうひとつ道隆寺のルーティンにこのお寺の門前に「サンエイ」という巡礼用品店があり、一般の遍路から先達まで必要な巡礼用品はなんでも揃う店がある。
それこそ錦札(巡礼100回以上の遍路が使う納経札)や錫杖しゃくじょう(先達か使う杖)、数珠に笈摺おいずり(袖のない白衣)、持鈴に経本などなど個々の品揃えたるやおそらくは一番寺の霊山寺やその門前、善通寺などにも匹敵するかそれ以上の規模ではないかと思われる。

 このお店のおかげで大抵は道隆寺もしくはその次の郷照寺で打ち止めとなる。このサンエイだけはゆっくり時間をかけて巡礼用品を見て欲しいものは買うようにしている。とは言っても納経札などの消耗品が多いが、見ていて飽きない。

 残る札所は11ヶ寺。そろそろゴールも見えてくる■

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