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心の蔵 ~身口意の三業とは~
前回、悪魔に心臓を形に取られて能力をもらった人の契約を解除した話を書いたんだけど、そこに出てきた「心の蔵」について詳しく話したいと思う。
心の蔵とは
「心の蔵」は「しんのぞう」と読むのだけど、「こころのくら」とも読むことが出来るのです。
思っていることが現実化する、というのは最近のスピリチュアル界隈で言われているけれど、そもそもこの考えは、古代インドで誕生した「唯識思想」という仏教学派をもとに成立した宗派で「この世のあらゆる事象はこころの反映である」という考えから、人間の生き方を説いているの。
つまり
自分の心から発信されたことの結果から起きた出来事をしっかり認識し、心を正していきましょうという教えなのです。今流行りのスピかと思いきや、昔から言われている考え方。
「唯識」とは、「唯(ただ)」「識(こころ)」という意味で、その唯識思想の中心にあるのが、「蔵識」という考え方。これは人間の行いの結果がすべてその人の心の中に積もり集まっていくということで、文字通り「こころの蔵」。人間には人生経験のすべてが収められる蔵が存在しているのです。
これは「宇宙の羅針盤」にも書いてあることで、「自分が発した言葉のゆらぎはこの宇宙に残るので、負のゆらぎは生きているうちに回収しましょう」ってやつに繋がるのです。
説明すると
「心の蔵」に人生のすべてが収められてるの。宇宙は私たちが発した感情がすべて記憶されると言われていて、言い換えると、宇宙に私たちの感情が収められているともいえる。つまりね「宇宙=心」ともいえるわけ。
悪魔との契約で心臓を差し出すと・・・
三次元的に心臓を差し出しても、悪魔の要求は「心の蔵」だった。つまり、あなたの人生経験が収められているすべてを差し出せ、と言われたことになる。悪魔は物質である心臓ではなく、あなたの人生経験すべてを差し出せ、といったことになるんだよ。
だから、転生した現代でも、過去世の悪魔との契約に縛られた人生を今世も送ってしまったというわけなのです。
蔵には何が収められているのか
蔵には「身口意」の行為の印象が残らず収められると言われています。
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仏教で学んだことを書くと、蔵は一般的にいう記憶とは異なる概念らしく、自分自身がすっかり忘れている過去のことも収められているとのこと。また、蔵のなかには自分の行為だけではなく、先祖代々の三業もちゃんと収められているらしい。
一度こころの蔵に収めたものは決して消えることがありません。善い行いをすれば善い結果が、悪い行いをすれば悪い結果が蔵に入り、その蔵の中身によって心がつくられていくのです。 そして私たちは、この心の蔵を通して世界を見ています。蔵の中身は人それぞれですから、同じ体験をしても人によって結果や感じ方が変わるのはそのためです。こころの蔵は人格をかたちづくる根拠であります。
私たちの人生は、善くも悪くもこころの蔵に収められている内容に基づいて構成されています。では、たくさん善行を積めば善人になるかというとそうではありません。仏さまの教えでは、こころは「無記」であると定義しています。無記とは心が善にも悪にもならない。善行や悪行をいくら蔵に収めても、人間のこころは善悪には染まらないという意味です。 たとえば、いくつもの善行を積んできた人が人生の最後に罪を犯してしまうことがありますが、それまでの行いから無罪放免とはならないです。同じように、悪行を積んできた人が一生悪人のままとも限りません。完全な善人にならないかわりに、完全な悪人にもならない。
こころの蔵に収めた悪が消えることはありませんが、こころは悪に染まらない。少しずつでも善いものを入れて蔵の中身を変えていくことができます。人生を後悔した瞬間から、善行を積み始めることだってできるのです。どれだけ年齢を重ねても、私たちのこころは善悪いずれでもなく常にニュートラルな状態です。だからこそ、私たちは精進し続けなければならないし、幾度でも人生をやり直すことができるのです。 当山では、過去から受け継いできた仏さまの教えや文化を「伝灯」と呼んでいます。明々と灯る灯明の火も、油を継ぎ足し続けなければ消えてしまいます。人のこころも同じ。いつも精進し、こころの蔵に少しでも多く善行を収めることが、自分自身を育て、周囲の方々の幸せな人生に繋がるのです。
新しいようで昔からあるスピリチュアル
仏教を興味深く知っていくと、今言われている、インナーチャイルドとか、潜在意識の書き換え、超意識、集合無意識、などは、もう遥か昔から言われていたり書物に書き残されていて、新しいと思ってやっているスピリチュアル界隈の人の浅はかさが垣間見える。
時代は繰り返していて、人の悩みも気づきも結局は日々の営みの中で繰り返されているだけなのだ。とは言え、同じ内容を言っていても新しい言葉で表現されて今の人たちに伝わるのならばそれは良いことで、昔むかしの仏教に携わった人たちも教えが広がり途絶えないことを喜んでいることだろう。これを仏教では「伝灯」と言っているのだと思う。
人の心に住まう「魔」は、いつの時代になっても居座るもので、文明が発達しても人の心は昔と変わらないのだ。
やはり「魔」を祓える人材であろう人を探し出して、芽吹かせることが急務だと思う。そもそも、このNoteを始めた理由がそれなのだから。
魔に打ち勝つ人を育てていくよ!!
このNoteを読むだけで浄化のエネルギーが流れるようにしているから、ぜひこれからも読んでほしいな☆彡
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