負け犬のススメ
私は結構すぐに諦めてしまう、いわゆる「負け犬」型人間で、立身出世した人、発明家、スポーツ選手の頑張る姿や達成感の話を聞くたびに、「私ももっと頑張っていれば」と思うのだが、一方で、頑張りすぎて心を病んでしまう人とも仕事を通してお付き合いがあり、やっぱり負け犬でもいいかな、と自己肯定する毎日だ。
心を病んでしまう人の多くが、責任感が強く、弱音を吐かない、負けず嫌いの人。与えられた仕事以上の仕事をするので、周りからの信頼も厚い。そしてその信頼を維持しようとするのか、また頑張ってしまっているのではないか、と思う。
誰でも期待外れ、って言われるのは悔しいし、情けない。でもそのために睡眠時間を削り、食事も喉を通らないほどの緊張感、寝ても仕事の夢を見る、などまるで、仕事をするために生まれてきたような人生になってしまう。そしてその果てが、うつ病や自死。
でも、それって、馬鹿馬鹿しくないか?と私は思う。
中学1年の時、水泳部に入り、学校にプールがないので、比較的近隣の千駄ヶ谷にあるオリンピックプールに、中高合わせて20人くらいで週に3度くらい、泳ぎの練習に行っていたが、その内、英語塾で通っていた千駄ヶ谷自体に行くのが恐怖になってしまうくらい水泳が嫌いになり、ある日退部した。
少しばかり泳ぐのが速かった私は、私立女子校対決の選手の一人に選ばれ、50メートルのクロールを何度も何度も泳がされた。苦しくて息ができません、と言っても、根性論全開だった日本の1970年代、「はーい、いいよー、休んでてね♡」なんてありえない。練習中に水なんて飲んじゃいけない、と言われていた無知な時代。最初の東京オリンピックで優勝した女子バレーボールの選手はよく死ななかったと、感動より呆れる気持ちの方が強い。
誰だって、きっと、キラッと光る自分が好きだろうし、何度でも光りたい。だけど、私はそのために頑張り続けることはできない。ごめん、お母さん、でも私には無理。
そんな私を周りの人は、成功者じゃない、と見るだろうが、成功者じゃないイコール不幸せもの、ではない。私は広くもない持ち家にデレッと住み、いつもやってみたい、と思っていたコラムの仕事や翻訳の仕事など、文筆業をしながら本業の仕事で毎日新たな発見をしている。お寿司が食べたい、と言っても、別にセレブがいくような寿司屋ではなく、街のマグロが自慢のお寿司屋が気楽だし、湖池屋ののり塩ポテチや醤油味のおかきとロッテのガーナ大粒チョコレートで大満足。親の墓参りに毎月行けて、電動自転車で観音様、小網様に月参りに行って、仕事前に四谷の須賀様に毎日お詣りができるなんて、ありがたい。そして、絶対見逃したくない、坂東玉三郎様の舞台を観に歌舞伎座や京都・関西方面まで遠征できるなんて、こんな幸せものいる?ってくらい私は幸せ者だと思っている。
人それぞれ、しあわせの物差しは違う。
だから、何が幸せか、幸福論をぶつけるつもりはない。
でも、心が壊れて、ベッドから起き上がれなくなって、仕事を休んだり、休職して出世の機会を逃したり、その出世の機会を逃したくないからって頑張って、線路に飛び込むのは、やめたほうがいい、と思う。
何のために生まれてきたか?
そんなの誰にもわからないし、親が欲しくて生まれてきた人、望まれなかったけど、とりあえず生まれてきた人、いろいろ。だけど、生まれてきたことに意味を探しても、代々政治家とか歌舞伎役者とかで世襲問題抱えているウチ以外、答えは見つからない、んじゃない?
だったら、好きなように、楽にやろうよ。いいじゃん、よその人の方が勝ち組に見えたって。勝ち組の人って、きっと、水鳥が水面下で一生懸命水掻きしているみたいに、大変な労力使ってると思う。できる人にやって貰えばいいな、って思う。
そういう人に任せて、ちょっとくらい搾取されてても、その分気楽なら、ま、いいっか、と許せる気持ちの余裕が持てる自分は、幸せな負け犬!わん!
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