現代における世界を評価軸としてのシュールレアリスム
シュールレアリスムにおける意味の探求
人間の意味というものの探求においてはなかなか難しいものがあります。
それは意味というものが後付されている”理由”として機能するのか、意味というものが先行して存在してそれがきっかけとして物事のはじまりを機能するのか
無意味という混沌の中にその芸術性というものを紐づけて考えるのか、そんなことがあると思えば論理的に比喩的な意味を絵画の中に持たせていくような作品も存在する。
後者においてはシュールレアリスムの時代を代表するジョルジョ・デ・キリコ
キリコの絵画をはじめて評価したのがギョーム・アポリネール。
1913年にサロンにて彼の絵画に言及して彼の作品は現代的感覚であると見抜いた人物でもありました。この人物は大地と海という詩をキリコに捧げて、キリコはギョーム・アポリネールの予兆的肖像を描きあげ書斎に飾りました。
この絵画にはキリコの特徴である空の色はヴェロネーゼ・グリーンで描かれ、魚と貝の鋳型はキリストのシンボルすなわち再生と救済の特徴として描かれているのです。
現代においての作品というものはなかなか芸術的というものには出会うことはありません。
いえ、むしろこの現代の漫画やイラストはあと100年もすればまた違う価値を帯びてくるのかもしれません。
しかし、それは資本的な換算においての価値であります。
芸術、作品というものはそのものに時間がありそこに意味が付随されているものです。
それが時には人のこころに響くというものになる”芸術”として取り扱われるときがあるのです。
我々はまだ無意識、意識というものを理解することができていないのは事実です。
もしかしたら、AIというものがその謎について解きほどいてくれるかもしれません。