いまの当たり前は未来では高価なサービスになっているかもしれないAIという無人未来
AIというものがすべての職業を置き換えていくのではないか
そんなことまで言われはじめてきた最近です。
ここまで大きな風呂敷をひろげなくてもいいのではないかなと思うのですが、
それもあながち間違いでもないのかなと思えてきたりします。
AIが流行りはじめたとき、はじめに奪われる職業はブルーカラーだと言われていましたがはじめに脅かされたのは"創作"でした。
生成AIによって一番代替がきかないものであると言われていたものが、取って代わろうとしています。
そんなことがあり得る時代、すべてが無理とか否定はできず、また予測も難しいものになってきました。
考えてみるとたしかに置き換えるということは"完全"には無理だとしてもその役割や手順が決まっているものに関してはおそらく行動・思考データ、パターンからAIによって再現性が可能になってくるでしょう。
そんな未来も遠くないのかもしれません。
接客業についてはどうでしょうか
今日はここがキモです。
『僕』が行きつけのカフェに行ったときに気づいたことです。
ただ、カフェの機能としてコーヒーなどの注文、支払い、商品の提供までは一連の流れとして決まっていますからAIでもできるかもしれません。
中にはとなりにいたお客さんがいつまで待たせるんだ、またはお客が支払い時に小銭を出すのに時間がかかる空気の悪い場、そんなことがありました。
これがAIによって生産性よく、スピーディーに終わるのであればきっとAIなどに取って代わられたほうがいいのでしょう。
『僕』はというといつも見かける女性の店員さんがいて、こんにちわと声をかけてくれたり挨拶をしたり
その店員さんが髪の毛の色を変えていたため、綺麗な色に染まっていますねなどの些細な世間話をして過ごしていました。
たぶん、これから人間が接客業であるのかなと思うのはいつも会ってるあの人やちょっとした変化で交わすお互いの言葉
そんなことが人間の仕事になるのではないでしょうか
つまり誰かと話す、誰かと言葉を交わした
それが人間の生きる、暮らす中での特別な日になるかもしれないということです。
そして、それがもしかしたら先にいるのが人間なのかAIなのかが区別つかない日もそんなに遠くないかもしれないということです。
いま、昔の当たり前が未来では高価なサービスとして残っているのかもしれません。
そんな戯言です
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