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なぜ、パパ活という中で頂き女子のスキームは使い続けられるのか

なぜ、パパ活、頂き女子というもののスキームは成立し使い続けることができるのか。
社会学の視座から考えてこれについて触れてみようと思います。

このスキームが使い続けられる背景には
公共空間の喪失につきるものであると考えています。
現在ではprivateというものが空間の大半を占めているという事をいっても過言ではありません。
このprivateというものはフランス語ではpriv eで奪うという意味を持つものからきています。
つまり、私的なprivateというものは公共性から奪われたものであると考えることができるのです。

現在の私的空間というものについてはスマートフォンの世界であり、その中であるSNSの世界になっているといってもいいでしょう。
公共空間の喪失によって人は対等な立場で他者と出会うことのできる舞台は限られていて、人が社会的、心理的欲求を満たすための手段は著しく抑圧されていると言えるでしょう。

これにより犯罪や鬱、貧困などは加速していきます。
ひいてはパパ活、頂き女子といったスキームがなんの躊躇もなく使われていて
奪い合いがある世界といっていいでしょう。

このprivateが拡大した現代では各々が自分のことを優先していて他人への気にかける力が失われているように思えるのです。
これをルソーでいえば、「ピティエ」と言ってもいいかもしれません。
公共性において常に他人との気遣いの中にいるのは疲れてしまうかもしれませんが、常に誰かに見られているというものは人間がよりよく生きるというものは必要なものだったのではないでしょうか

人間はprivateというものを最大化した私的空間を個人主義というもので閉じこもるためのいい訳に使っているように思えてなりません。
その閉じられた世界の中ではパパ活や頂き女子をやる人間、そして狩られる弱者男性どちらもこの閉ざされた世界の住人における瑣末な出来事のように思えてならないのです。

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