それは、愛か。臆病か。
ふいに空白の世界が私を襲う。
素知らぬ顔で
どうも、こんばんは、とやってくる。
キリキリと胸が抉られるような気分になる。
私以外のみんなはきっと幸せなんだろうと。
羨ましさや、やるせなさ、必要とされていない不安、諦め。
つまるところ、その名前は「孤独」だ。
こんな時は、誰かと繋がることをやめるのが一番。
できる限り淀んだ気持ちとともに私の身もろとも沈殿する。
孤独はそんなに嫌いじゃないけど。
ただ、いつまでこんな気持ちを抱える夜が来るのかなって
先の見えない未来を案じてしまう。
だから見つめてみることにした、孤独を。
しばらく心を見つめていると、か細い声で
私の内側から「愛されたい」という気持ちが漏れ出た。
|愛されたいは愛したい対象がいるから
愛されたい
漠然とどう思うことは今に始まった事ではない。
だからなぜこんな気持ちになるのか考えたことはなかった。
が、ネットをウロついていると
Yahoo!知恵袋のとある回答者の文章に目が止まった。
おっしゃる通りだと思った。
そう、私には今愛したい対象がいる。
そしてこんな孤独を感じる時はいつも
愛したい対象がいるのに、その相手に向けて
愛を表現することを我慢しているからかもしれないと。
行き場を失った愛したい思いが満たされず
ふわふわと浮遊するから、愛されたい孤独がやってくる。
|好意を示すことを抑えるのは愛ゆえか、臆病か
私は片想いの相手に
好きと伝えることができない。
昔は振られるのが怖かったからだ。
だが今は振られるのが怖いというよりは
私の好意が相手の負担にならないかという点で
不必要に告白をしない選択をしている。
好意自体は臆面もなく表現している。
相手が負担に思わない程度に。
それは人としてのリスペクトをしていること。
異性としても魅力がたくさんあるということ。
良いと思ったことは、その場ですぐ伝えている。
でも、それ以上の特別な感情は
相手が恋人を欲しいと思っている状態なら良いが
今、恋をしたいと思わない相手にとっては負担でしかない。
そして私が恋をする人は
いつも恋よりも優先していることがある。
恋を優先する人より自分の夢や目標に生きる人を
尊敬するし、そういう人が好きだから常に一方的である。
するとデートに誘ったり、告白したりなどを
したいと思ってもどうしても抑えてしまうのだ。
自分の想いをぶつけることは
エゴの押し付けなのではないだろうか。
ならば、見守るのが愛なのではないだろうか。
それが私にとって本当に必要な縁なら
必ずどんな形でも繋がれるし。
無理に事を起こさずとも
今二人にとってのちょうど良い距離感で
過ごせれば良いのではないだろうか。
私の出す答えはいつも、ここに行き着く。
けれど、時折むしょうに襲う孤独があるならば
やっぱり私はなんだかんだと言い訳をつけて
自分からぶつかることを恐れている臆病者なのだろうか。
見守る愛と呼んで良い子のフリをして
他力本願で物事が進むのを期待して。
思うようにいかないから孤独に苛まれる。
きっと、そうなのかもしれない。
|満たされない思いを見逃さないで
私にとっての愛とは
決してエゴを押し付けることなく
相手の意志を尊重することである。
同時に、自分を愛していたい。
自分も相手も大事にしたい。
きっと今満たされないこの思いは
自分も相手も大事にしたい気持ちがあるがゆえ
どこにケリをつけたら良いのかわからず。
だから、生まれるものなんだろう。
特別な好意を示せば、私の気持ちはスッキリする。
特別な好意を隠せば、相手の負担にはならない。
無論、私の好意が相手にとって負担になるというのは
私の勝手な思い込みである。
…そう考えると私は、やっぱり
傷つかないための予防線を張っているのだから
自らぶつかることをこわがっているのだけなのかも。
もし本当に相手のためを思っていたのなら
行き場のない思いを抱えていたとしても
満たされないような孤独を感じることはないのだろうか。
満たされない。
それは何にしても私の内側から出てきたサインであり
きっと見逃してはいけないことなのかもしれない。
|相手を思うことに正しい愛もエゴもない
結局、今の私にはまだ
満たされない孤独を解消するために
相手に告白をすることが勇気ある一歩なのか
それともやっぱりただのエゴでしかないのか判別はできない。
し、相手の受け取り方によっても
その意味合いは変わるから私の中でぐるぐる悩んでいても
正解は生まれず、多分意味はないのだろう。
ただ、相手を思うこの気持ちに
正解も不正解もないことは確かである。
愛と思って示した行動がエゴに見えることもあるし。
エゴだったと自責の念にかられていても
相手にはしっかりと愛が伝わることもある。
やっぱりそれはぶつかった先でしか
答えは見えない。
大事なのはぶつかるべきタイミングや
相手の状況をよく観察することだろうか。
一歩を踏み出すときが来るまでは
私の中にいる孤独は消えないし
消えても、また生まれる。
ならば、孤独は消さずに仲良くなろう。
行き場の見つからない思いを抱えて
どうしようもなくやるせない夜が来たら
じっくり、ゆっくり君を味わおう。
その繰り返しの中で
いずれ何かが報われるかもしれないのだから。