2020年をこの本と振り返る!『ひび割れた日常——人類学・文学・美学から考える』
「1年があっという間」の正体。それは外出自粛と、催し事の軒並み中止による季節感の欠如?あらためて感じるのは、日本の四季と各種イベントがそれぞれ密接に絡み合っているということ。
季節感のない2020年
日本人はこれまで、四季を五感でより味わうために折々のイベントをこしらえてきたのかと思うほど。「冬」を感じられれば、クリスマスも除夜の鐘も初詣もウェルカム!...キライじゃない!
季節の節目に自分を投げ出して記憶に彫り刻んできたけれど、今年はとくにペラペラで毎日の繰り返し。時間だけがただ流れてゆく。こんなご時世こそ、日記手帳といったアイテムが売れる気もする。
さあ、気が付けばもう年末年始。皆さんはどう過ごしますか?
帰省の自粛要請のニュースを見たときにはじめて「試されてるぞ...!」という感想を純粋に抱きました。
べつにサンデル教授が投げかけるトロッコ問題のような究極の問いじゃないし、善悪の価値観を揺さぶられるわけでもない。
でも毎年やってたことを一度見直し、向き合わざるを得ない。ようやく「自分ゴト」が訪れたということなのだろうなあ。
そのときふと「考えるために本を読みたい」と思った。かんたんにいえば拠り所、ショーペンハウアーにはチクッと言われそうだけど割り切ろう。
考えるための本
小説なら『ドゥームズデイ・ブック』や小松左京『復活の日』、体系的にインプットする点で『感染症の世界史』などは読みましたが、「今」の視点で変わりつつある世の中に関して論じた本は直感であえて避けてきました。
で、ようやく思い至りました。自分で考えるための枠組みや視点だとか「ヒント」がほしいと。そうして渋谷の好みの本屋SPBSで手に取ったのが本書です。
本書は、人の営みの当たり前を問う人類学者・奥野克巳氏、『目の見えない人は世界をどう見ているのか』でおなじみの身体感覚に精通している美学者・伊藤亜紗氏、そして小説家・吉村萬壱氏の三名によるリレーエッセイ。
ひとりの思考に触発されて三者の思考が膨らんでいく様は、まさに変奏。
ひび割れた日常を生きる私たちはそもそもいったい何を考えるべきなのか。一つの道行きを「生命と自然の問題」と名付け、問いを深めてゆきます。日々ニュースに怯えるしかしていない思考の枠組みがほぐされていく感覚を味わうことができました。
「ひび割れ」と想像力
本書の後半、伊藤氏の指摘に膝を打ちます。この「ひび割れ」が突きつけたのは、それ以前の社会に対する「想像力の欠如」だったのではないか。
たしかにぼくたちは一部を切り取られた日常を生きてきた。合理化されて、それなりに便利で身の回りだけで完結する世界。
もっともグローバル経済にどっぷり浸かっていて、ネットで世界がつながった感覚は持っている。
それでも、たとえば着ている衣服がどの国からどのような人を介してつくられたのか思いを馳せることはない。ミルクボーイの漫才の一節でいえば「生産者の顔が浮かばない」。
奇しくも「ひび割れ」はグローバル規模で発生し、世界が人々を起点に物理的にも一つに「つながっている」ことをイヤでも感じさせる機会となった。
新自由主義の偉大なる結果としてグローバル経済が世界を席巻し、勝つ者が勝つロジックが幅を利かせ、メガプラットフォーマーがさらなる成長を遂げた。
その副産物として「自己責任」という言葉が産み出されてからもう何年が経つでしょうか。
自己責任と自由は表裏一体であり、私たちは自由という刑に処されている。翻って「今」を近視眼的な想像力を矯正できる機会ととらえるべきか。
考える足場はつくっておきつつも、来年は楽しい一年を過ごせるといいなあ。
というわけで2021年もよろしくお願いします。以上です!