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【アートのミカタ29】ジョット Giotto di Bondone

【概要】暗黒時代の巨匠

何世紀も失っていた芸術に再び日の目を見せたフィレンツェの輝き。
そう賞賛したのは14世紀の小説家ボカッチィオです。(『デカメロン』というインパクト大のタイトルを書いた人)

現代の私たちにとってもっとも難解な芸術の時代であると言っても過言ではないかもしれません。なにせこの中世時代に描かれた絵画には、現代には見慣れてしまった写実性や内容の意味深さを全く感じられないからでしょう。

しかしこの中世(あえて暗黒時代と使いましたが)において、ジョットの存在はとても大きく、後の芸術家が芸術家として名をあげるためには、このようなパイオニアの存在はとても大きかったと言えます。

彼を知ることはつまるところ、西洋芸術史を理解することに繋がり、現代で芸術家として活躍したい人なら尚更のことです。

彼が一体どんな人物なのか。この時代の芸術とは一体なんだったのか。それを紐解いていきたいと思います。

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荘厳の聖母,1310年頃
なぜ美的センスを磨くのか。科学の発展に伴い、心を作る芸術的思考もより広く知ってもらいたい。このブログは、歴史上の偉大な画家たちをテーマに、少しでも多くの人にアート思考を築くきっかけにならないかと書いています。まずはそれぞれの画家の特徴を左脳で理解し苦手意識を払拭するのがこのブログの目標です。その後展示等でその画家に触れる前の下準備として御活用下さい。私たちの味方となり、見方を変える彼らの創造性を共有します。


【背景】宗教画の爆誕!神をちょっと人らしく描こう!

ジョット個人の話をする前に、この時代がどんな時代だったかをお話していきます。所謂「暗黒時代」と言われた理由は、地方各地で戦争が絶えなかったり、疫病(インフラがまだ整ってないのに人が集まり、衛生面が危ぶまれた為)が広まったり、政治が混乱したり。

そんな云々で頭を悩ませていた時代だったからです。
確かにその前後と比較すると、この中世は失敗と挑戦を繰り返した時代であり、成果が現れるのはまだ先の話になります。

そんな中、美術史に関わってくる内容と言えば政治です。ヨーロッパ史の特徴として、皇帝(国の王様)と教皇(宗教のトップ)の二大統治があります。特に現在のイタリアを中心とし、国の王と宗教のトップがお互いにバチバチやりながら国民をコントロールしようとし合っていたようです。

そして中世と呼ばれるようになった11世紀の頃には、王様より宗教のトップの方が力を持っていた時代でもあります。

ユダヤ教(旧約聖書)がキリスト教(旧約聖書+新約聖書)と分裂したのが1世紀。そして11世紀にはキリスト教がさらに分裂してカトリック教と正教会になっていきます。

カトリック教は、それまでの旧約聖書の教えである「偶像崇拝禁止」を「偶像崇拝OK」にした一派です。これにより、宗教絵画の世界は飛躍的な変化を見せてきます。「神とは絵に描いちゃダメなんだ!」という世界から「絵描いていいよ、むしろかいて!」となったわけですから、突然仕事が舞い込んでくるわけです。これは美術史の革命期と言って何というでしょうか。

そしてそんな爆誕時代から約200年ほど経ち、14世紀になって絵画の存在が定着しつつあった頃の有名人が、今回お話するジョットになります。

【ちょっと余談】イコンについて
11世紀以前にも「イコン」という考え方があり、神様を全く絵に描いていない時代ではありませんでした。現代の私たちからすると「イコン」の時代と偶像崇拝OKになった中世以降の絵画との違いは、わかりづらいかもしれません。イコンの説明を何度読んでも、言い方の問題にしか聞こえないし。見た目以上の説明は、信者でない人にとってはよくわかりません。
しかも「イコン」自体は中世以降もずっと続く考え方ですから、時代別(技術別)でも判別できないという面倒くささがあります。

しかし、当時の人々(信者)の中では大きな隔たりがあったのは確かです。
というわけで、ここでは現代でもわかるように「イコン」と中世絵画の違いをあげてみました。

●「基本こっち向いてるのがイコン」「神っぽい人を見てるのが中世絵画」

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イコン代表作:聖テオドロスと聖ゲオルギウスを伴う玉座の聖母子,6世紀

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『カナの婚礼』, スクロヴェーニ礼拝堂,ジョット

【核心】中世から200年、初めて絵で感動させた画家

「芸術家」として一人の画家が名前を残すようになったのはルネサンス(15世紀-)以降の話です。
その為1270頃-1337年に生きたジョットの時代では、まだ作品に署名をすることもなく、さらに「画家」というより「職人」といった方が近いでしょう。ということでジョットが残した作品がジョット作である事実は、後々の技術解析によって判明したものとなります。

それほどこの時代に名前が残るということは、それだけでも凄いことだということです。

とは言え、ジョットの伝記が発行されたのはジョットが亡くなってから200年ほど経ったあと(ジョルジュ・ヴァザーリによる『美術家列伝』)ですから、トンデモエピソードもいっぱいあります。


例えば、10歳前後のジョット君の逸話です。

ある日、少年ジョットが平らな石に羊をスケッチしていると、フィレンツェの一流画家チマブーエが通りかかった。少年の優れた腕前にたいそう驚いた画家は、弟子にしたいとジョットの父親にすぐさま頼んだという。

これはおそらく創作だろうとされていますが、ジョットを語る有名な逸話になります。出生もはっきりせず、フィレンツェの北東にあるヴェスピニャーの村で父親は農民だったという説と、フィレンツェに住む鍛冶屋の父親(1999年発表)などとあります。

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十字架のキリスト,1300年頃


これほど逸話だらけの画家ですが、それほどまで後世に愛された理由は、ジョットが絵画の目的を「説明」ではなく「感動させる媒体=芸術」としたからだと言われています。

それまでにイコンに代表する「神」の存在とは、こんな人間らしく痛そうに体をよじったりしないのです。神とは近づきがたいほど威厳に満ちている存在ですから、ある意味で人外な態度・表情をしているのは当時の常識でした。


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ジョット以前:栄光のキリスト

ちなみにギリシャ神話で裸の人々が何も恥ずかしげもなく堂々とポーズしているのは、神と人間の認識の違いを表していることもあります。
アダムとイブが楽園の追放などは、自分たちが裸であることを恥じて体を隠すシーンもありますが。
神様というのは裸も恥ずかしくないし、痛くもかゆくもない存在なようです。


ジョットの生きた時代を「初期ルネサンス」ととる人と「中世」ととる人がいるのは、ジョットが変革期に存在した画家のパイオニアであるからです。

ジョットは神のあり方を変え、のちに神の象徴であった裸の定義を変えるきっかけを作り、さらに絵画が宗教を説明する媒体であったものを、感動させてる目的として扱った初めての人ということになります。

これに関しては後のレオナルド・ダ・ヴィンチやマティス等も認めており、彼がいなかったら現代の絵画とは、単純な説明図・図式と変わらなかったかもしれません。

ここまで読んでくださってありがとうございます。画家一人一人に焦点を当てると、環境や時代の中で見つけた生き方や姿勢を知ることができます。現代の私たちにヒントを与えてくれる画家も多くいます。また次回、頑張って書くのでお楽しみに。


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らち
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