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問いを立て、問いに答えることで信頼は築かれる

年次が上がってくると必然的に後輩から質問されることが多くなり、先輩から任される仕事も増えてくる。そしてこの構造はどこまで行っても終わらないようだ。仕事を任せられない後輩もいるし、質問しようと思わない先輩もいるので、どちらもほどほどに自分が満たされているなら存在意義があるのだろう。と思いたい。

最近は平日休日昼夜問わず質問が来る。後輩にも限らない。でも質問なんていつでもいいと思う。返せないときは返せないし、疑問は思いついたときでないとすぐ頭から過ぎ去ってしまう。

おざなりの答えでお茶を濁すこともできるけれども、対象が科学の領域なので、考えうることは考えないといけない。でなければ、単純に職業人として怠惰だし、同じ質問が次来るかどうかわからないし、質問されることは自分も結構見落としている部分のことも多く、質問が新しい視点を示してくれることも少なくない。

質問を受けるのを嫌がる人もときにいるが、もったいないと思う。人生の大半は問いを立てて解くことばかりなのに。人から与えられる問いほど新鮮で生活を豊かにしてくれるものがあるだろうか。

質問者も相手を見ている。ひとはまず質問しやすいひとから質問するのではない。答えてくれると期待するひとから質問するのだ。質問のしやすさは二の次だ。その期待に応えるのが信頼の第一歩。

疑問は毎日必ず何かにつけて出てくる。持たないのだとすれば、知ったつもりになっているだけだ。あるいは疑問を持てるほども理解していない。問いを立てるためには、まず何を理解し何が理解できていないかわかっている必要がある。

手を尽くしても答えが出せないときもある。やむなくさらに専門家に聞くこともあるだろう。ただ聞くにしても、このような機序は考えられると思うんですが、とか、これを重視するとこうせざるを得ないと思いますが妥当でしょうか、とか、質問にも望ましい形がある。自分が聞かれたままに聞いてはいけない。自分はどこまでがわかっていて、どこまでがわかっていないのか、どこを教えてほしいのかを相手に示せば、答えやすく理解もしやすい。

問いを立てることはひとつの表現だ。表現するほど自分は見えてくる。最初は意識もしていなかったが、問い、問われるのやりとりの中でともに成長し、視野は開け、信頼関係は固まっていくということを実感するようになった。

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