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分かった気になるという加害者性は世の中に溢れている

こんにちは!レタススタッフの三宅です。
昨年まで専門職を対象にしていた「ニュータイプの相談援助職のための読書会」をアップデートして、「Relearnする読書会」と名前を変えてリスタートしています。
ご参加いただいた方、ありがとうございました!

今回読んだ本は、信田さよ子 著『家族と国家は共謀する

『サバイバルからレジスタンスへ』という副題に因んで、「最近抵抗したことは何ですか?」という質問を交えてチェックインをした後、感想を共有しました。

◆最近「抵抗」したこと
・職場の上司から頼まれた業務を、1回目は引き受けたもののもやもやしたため、また頼まれた時にはやんわり断った。
・ジェンダーバイアスが強いコミュニティで、ハラスメントが起きていた。まだ解決していないけれど、自分も同じような体験を受けたため申し立てをして、コミュニティから離れることにした。
◆感想
・”研修会フェチ”の問題はとても身近に感じる。社会実装できていないのでは意味がないと思う。
・”自己肯定感はコントロールできる”、”ポジティブに考えられないのは自分のせい”などと自己責任論に行きやすい風潮があるが、そうすると本当の苦しさやネガティブな要素をないものにしているのではないか。
・加害者と向き合うことを、専門職はどこまでできているだろう?
・子どもは「イノセントな存在」、虐待は「可哀想」と思われる一方、DVでは「あなたが決めたこと」「自分で逃げたらいいのに」と対応の温度感がかなり違う。”下方比較”することで現象を矮小化している感じがちょっと嫌。実態が知られていないところも問題。
・PTSDの回復プロセスでは、名前をつける・再解釈した後にまた残酷な体験を思い起こすことになり、本人も寄り添う人も大変な作業だと思った。
・”家族って素晴らしい”というイメージが溢れているものの、そうでないケースもある。色んな家族を知ること、「家族する」が大事だと思う。

感想だけでも学びの多い時間でしたが、対話の時間にうつります。

今回は、以下2つの問いを関連付けながら話しました。

Q.日常での気付きを、社会と結びつけて考えるためのコツは何だろう?
Q.(虐待やDVの実態が可視化されてきたのに)社会が変わらないのはなぜだろう?

特に印象に残ったのは、共通の言葉が作られることで生じる認識の差です。
「虐待」という言葉だけ聞いても、自分が持っているイメージを補って”変換”して捉えています。具体的な説明を聞かない限り感情移入できないし、言葉が作られたことでラベリングの機能が強まる場合もあります。それによって(個人も社会も)分かった気になっているのではないか?という意見がありました。
言葉がつくられることで、当事者にとっては自分の現状を認識する・振り返るためのツールとして機能するものの、当事者以外の人にとっては「自分とは関係ない」と距離を置くものとして使ってしまいます。そこが、社会が変わらない要因の1つではないかという視点は、確かにそうだなと思いました。

そして「具体的な説明」をしてもらう時、加害者性のある人にはありふれたセリフではなく、自分が何をしたのか、何が悪いと思っているのかを詳細に説明しないと、相手には紐づかない事例も挙がりました。

自分たちに置き換えると、”研修会フェチ”のように「とりあえず話が聞けて良かった」で終わらず、「じゃあ自分は何をするのか?」と自分の言葉で語り直すことを続けたいと改めて感じました。

次回のお知らせ

日時 :2023年5月28日(日)10:00~12:00 @オンライン
本  :鈴木健 『なめらかな社会とその敵』
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2023年のスケジュール

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