錬金術を伝えると決める。に至った話
私はずっと自然療法の世界にいて、
その中で、精油を錬金術的に使う方法というのを好んで使ってきた。
それはその人が痛みなく、抵抗反発少なく、
自分の心を扱えるようになり、自分で自分を導いていけるようになる。
そういう成長曲線が見えるからだ。
私のキャリアは自分の年齢とは逆行して、
アンチエイジングのメディカルエステから始まり、
自然療法を扱うセラピストなり、香りを扱う錬金術師になった。
それで今は、その香りの錬金術の大元の理論、仕組みをお伝えしたいと思うようになっている。
それは、私が関わらなくても、
自分で自分の体や心をみて、魂の力を呼び覚まして、
自分を導ける人が増えるといいなと思い始めたからだ。
サロンでお仕事をするときは、どうしても1対1になりがちで、
それだと色々、間に合わないな、と思うからだ。
風の時代は、精神の時代と言われる。
一人一人が個性を出して、表現するために、
まだ眠っている自分の本来の資質を目覚めさせる必要があって、
精神性を学ぶ機会というのが圧倒的に少ない。ということに気づいたからだ。
ありがたいことに私は、精神性を学ぶ機会を幼少期から得ていたので、
ごく自然と心の有り様に目を向けながら生きてくることができた。
HSPの中でも特にハイリーなHSPであった私は、
自分を肉体的に殺してしまわないように、自分の心を扱い方、取説を作ってきた。
私にとって、心を磨くということは、生きていくために必要な手段だった。
今でこそ、私を活かしている「見えない音が聞こえる能力」
体の声や心の声、精油たちの声が聞こえるという資質は、
その扱い方を体得するまでは非常に私を苦しめた。
能力というのは、諸刃の剣だ。
上手く使えば役に立ち、振り回されれば、自他を傷つける。
魔法使いが出てくる映画には、必ず、見習い魔法使いが道具や魔法を扱えきれずに失敗するという描写が描かれる。ビギナーは誰であれ、何であれ、習得するまでは右往左往するものだ。
自分自身の心を手なづけるのも、技術をただの技術以上のものにするのも、鍛錬しかない。私は自分を手なづけるのにとても長い時間を要したけれど、その時間は、今の私を形成し、物事の本質を掴んでいく力を授けてくれたと思う。
多分、若い頃は、誰もが、
「誰も自分のことをわかってくれない」とやさぐれることがあると思うのだけど、
結局は、自分で自分の資質を知って生かしていく以外、自分を大切に扱える方法はないのだと気付くと、自分っていうものを教えてくれそうなものに、惹かれることは無くなっていく。
だんだん、人から言われることって大体一緒だなーと気付くし、でも、いまいち、腹落ちしないんだよなーと悶々する時期だってある。
人から見えているものは、自分という宇宙の極々一部、1つの側面でしかないとわかると、自分が自分のことをよく知ってるし、いろんな自分を慈しみながら、あれこれ実験していくことで、自分のことがよくわかるようになっていく。
そういう段階に入ったとき、小手先のあれこれ、断片的なナニカではなく、宇宙の法則や自然の摂理、色々なバイオリズムの本質を学んでいくと、あぁ、結局は単純なことなのかも、と気づく。でも、シンプルだからといって、簡単じゃない。と悶えるのだ。
20代の時、私は、カバラという密教の教えを学んだ。
それは、人が神様のようになるプロセスについての学びで、そこには1つの公式があって、その公式を徹底的に実践することで、自分だけが得したいというエゴまみれの人間から、神化した本来の自分へと磨きをかけるという人生を賭けた試み。
文字にするとお袈裟に聞こえるかもしれないけれど、現代風に超意訳すると、「自分らしく生きるための法則と試み」とか「神様、女神様になっていく古代の法則」ってな感じになるであろうと思う。案外、みんなに馴染みのある学びだ。
カバラはずっと口伝口承で伝えられてきた真理で、そのプロセスで人ってやつは、こういうチャンスの時に、チャンスを逃したりするんだよね〜という人間あるあるなども収められていて、要所要所で、今、自分が何を選ぶべきか。を選べるようになる審美眼を磨くことを促されている。
答えがあるわけではなく、自分で考え、選び、自分を磨いていく試みだから、いくらでも、逃げようと思えば逃げてしまえるのだ。けど、ここがチャンス!と思えたなら、逃げることなく、立ち向かって行けたりするし、勇気の出し方なんかをカバラでは学んだと思う。
闇雲に自分を磨こうとするのではなく、エネルギー的に守られた無駄のない先人たちの知恵の結晶である法則に則ってやる方が効率がいいに決まっている。
カバラを学んだとき、私はその学びをする人の中で一番若かったけれど、これまでの自分の試行錯誤のあれこれを思うと、もっと早くに知っておきたかった!と思った。
多分、この方法で合ってる。自分の導き方は間違っていないと幼少期の私は自分を導いてきたけれど、人がよりよくなるための方法を知っていたら、この感覚を知っている人は、私以外にもいるはずだけど、この感覚を説明する言葉を持ち合わせていなく手、すでにそれを言語化して、先を行っている人や書籍だってあるはずなのに、そこに辿り着けないというジレンマを感じる時間というのを短縮できたと思うのだ。
学びにおいて、「正しい学び方に辿り着けるか、どうか。」は非常に重要だと思う。
私は、この学びの智慧を錬金術的アロマテラピーの講座や私が行なっているワークショップなどでお伝えすることは合ったのだけど、理論やカバラの公式をきちんとお伝えするということはやってこなかった。
けれど30代後半からだろうか、いつしか、それを伝えていくことになるし、その覚悟を決めなければならないと心のどこかで思ってきた。
そして、40代も半ばになって、早く始めないと、師匠もいつまでもこの世にいるわけではないぞ。という焦りが出てきた。もうこれはエイヤーと飛び出す時期が近づいていると思った。
そうしているうちに、日本の隠者といわれる方ともご縁をいただき、心の錬金術を日本バージョンで学ぶ機会を得た。あぁ、カバラと同じだ。真理は1つ。その登山口は数多ある。では、私の切り口は、やはり香りやアルケミーという部分じゃないか。
そうやって、1つ1つ、自分の中で始めていくということに心が動き、試していくことが増えてきた今。
この9月は覚醒を促すのにいい時期だと聞き、ここでいっちょ腹を括るか!と1つの線を超えた。
何事も始める前は、うだうだするけれど、一度、決めてしまえば、やる以外見えなくなるので、決めるというのは、非常にパワフルだなと思う。
年々、決めるということへのハードルが下がってきている。
それは、やったらわかるから。という経験が染み付いてきているから。
また、悩んでいるうちに、機会を損失するという、リスクを取らないリスクがあることも知っているからだ。
気分で飛びつくのはよくないけれど、気になるなーってことは、さっさと体験したり、学ぶ方が本当効率的だと思う。
学び続けるにしても、辞めるにしても、やってみれば、答えは出るから。
相当なお金を何度も何度も清水の舞台から飛び降りるような気持ちで支払ってきたけど、支払っちゃうと全然、もう忘れちゃうから、金額の問題なんてものはいうほど大きなことではないと思う。
払っちゃえば、スッキリするわけで。大体、翌日からいつも通りの生活をしているから、本当に問題がないとしか思わなくなった。やりたい気持ちが湧くか、否か、の方が相当大事。
今も私は、錬金術を学んでいるけど、学べる機会が目の前にあること自体がすでに豊かで素晴らしいのですよね。智慧は受け取れる時に受け取らせていただく。自分が齢を重ねているように、先生方も同じように時間が進んでいる。そう思うとどの学びの瞬間も貴重すぎて、いつもありがたすぎて感謝で細胞が揺れる。学べるって幸せなんだよね。
この9月、あなたは自分を目覚めさせるために、何をする、しない。を決めましたか?