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#6 ばあちゃんのコロッケ。
すぐスマホに戻したわけで。
また時間のあるときにキーボードに向き合います。
2個前にも書いたが自分は現在絶賛どん底中。それはガチで〝お祓い〟を悩むほど。公的にも私的にも、なんだか異様についてない。お祓いしてみたら? なんて周囲から冗談で言われたりもする。
そういう意味ではばあちゃんの死に目にも会えなかったのがツキの無さとつながる、、、と言い切るのは失礼なのでつなげたくなる気持ちになる、ぐらいに留める。
ランチのおかずのセットでコロッケがあるとついつい選んでしまう。お惣菜ではなかなか感じることはできないが、一度だけ、家族経営のお店のランチのコロッケにばあちゃんを思い出したことがあるからだ。
ばあちゃんごはんに育てられた自分は、物心つくまではずっと和食で過ごしていた。小学校、中学校ともなるとさすがに洋食を知り、ミートスパゲッティを食べたくて頼んでつくったもらったことがある。それ以降世の中でミートスパゲッティを食べたことはない。自分が知ったミートスパゲッティはソレでしかないから。自分の好きなミートスパゲッティには二度と出会えないのかもしれない。
高校に入るころ、地元でコロッケの店が大ブームになった。
たしかにおいしかった。おいしかったがばあちゃんに作ってもらったらもっともっとおいしかった。ばあちゃんのコロッケのほうが何時間でも並んで食べたいと思った。
大学に行き、郷を離れたときにふと食べたくなるのはばあちゃんのコロッケだった。数ヶ月に一度送られてくる、パンパンに入った仕送りという名の段ボールにはソッとコロッケが冷凍で入っていた。
おいしくて。おいしくて。
ちゃんと言っただろうか。ちゃんと伝えただろうか。
過去の自分を殴りたい衝動にかられる。
でもばあちゃんは何回も送ってくれた。何回もおいしく食べた。
いつしかばあちゃんは料理ができなくなった。
話すことも、笑ってくれることも少なくなった。
名前を呼んでくれることも無くなった。
お別れしたのはたった一年前だ。
わからないけど、〝お祓い〟ってなにを祓うんだろう。背中にきっといるばあちゃんや、むかーし道端で言われた『あんた、見た目若いけどじいさんだと名乗る人が背中にいるよ』と言われた生まれる前に亡くなったじいちゃんはいなくなったりしないだろうか。それだけが心配。