冬、コート。
僕は冬にコートを着ることが毎年の楽しみなのだ。
そのくらい僕はコートが好きだ。ダウンはバイクに乗っていた時に寒さ凌ぎのために着たことがあるが街着としては着たことがない。
僕の好きなコートの着丈は膝丈もしくはそれよりも少し長いくらいの丈で、身幅は大きくても小さくてもバランスや雰囲気が良ければどちらのタイプでも良い。
そして好きなコートといっても「一概にこれと断定できない」のだ。
それは、現行のモノでも古着のモノでも様々な種類のコートが好きだから
トレンチコート、タイロッケンコート、レインコート、フィッシングコート、ステンカラーコート、ダスターコート、様々な軍モノのコート… 上げれば限がない。
当然それを創るメーカーやブランドによってもパターン構造やシルエット、仕立てなどが違うし着た時の感じ方も高揚感も全く違う。
僕が思うコートのイイなと思うところがいくつかある。
-袖を通して肩に乗ってくるあの重厚感
-羽織るときの「バサッ」という布の分量感
-コートの裾が風に揺れる感じ
-コートに包まれる感じ
-襟を立てた時の雰囲気
-仕立てのユニークさ
-着用した感じからパターン構造を感じる、考える
これら全てどれをとっても堪らない。
しかも古着でいえば昔のモノは仕立てや縫製、はたまたステッチまでもが今では再現できないようなことも多くそれがとても凝っていると感じるし、使用されている生地も現代のモノよりもイイ意味でガサツだったり、ウールで言えば重く目の詰まったモノや見とれるようなクオリティーのモノだってある。そういう昔の技術の細部を感じることや生地感を楽しむことすらも僕がコートを愛する理由の1つなのだ。
もちろん現行のモノにそれらがないわけではないし、現行のモノにだって袖を通す。しかし、全てじゃないにしても一昔前のモノには時代を超えてきたただならぬ雰囲が漂う。かっこいい。
しかしながら、現代において人は寒さを凌ぐためにはコートよりもやはり軽くて確実に暖かいダウンを着ることを選んでいるのかなと思う。というか、それを望んでいるのだろう思う。
わざわざ重たくて少しでも寒さを感じてしまうコートを着るよりも、市場にはUNIQLOのウルトラライトダウンのように価格もリーズナブルで買い替えがきくようなモノや、THE NORTH FACE、Canada Gooseの様なハイスペックなモノ、MonclerやDuveticaのファッションダウン、あらゆるファッションブランドのモノまでダウンが多岐多様に揃うので選択する側としても申し分ないくらい選択肢が広がっているのだから当然といえば当然だ。
ニューヨークに暮らす人々だってダウン着用率の方が高いと僕は思う。ダウン1つあれば余計なことに気を取られずどこにでもいける。中は薄着だって構わないし、あれこれコーディネートなどに時間を費やさなくてすむのだから。
(薄着の理由はニューヨークは建物の中が異様に暖かいから、ダウンを脱いでしまえばそれ以上に着込んだモノを脱ぐ必要がないからだと思っている)
とにかくダウンは利便性の良さが秀逸なのだ。
着ている人の多さからも間違いなくそうではないかと僕は思っている。
ただ、そんな利便性や秀逸さをどんなに魅せられても僕はコートが好きだ、良からぬことを言えば(?)願わくば街を行く人たちにも気分転換がてら、たまにはコートを羽織ることを楽しんでもらえたら嬉しいなと思うのだ。
2018年の冬、ニューヨークに訪れた冬の大将軍がもたらした-25℃の大寒波のセカイでも僕はコートを着ていた。
だから僕はたぶんこの先ダウンを冬の一張羅として羽織ることはきっとないのだと思う。
これから先もかじかんだ手をポケットに入れ、裾を揺らしながらそれでも自分が好きなコートを羽織っていこうとおもう。
そしてまた自分が気に入るコートを探しに出かけよう。
※ちなみにですが、写真のコートは僕がデザインからパターン、縫製までしたものです。