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何故るい君はガラケーなのか? 映画『きみの色』感想

先日、映画『きみの色』を観ました。
そこで気になったのは、時代設定は現代なのですが、男子高校生のるい君という登場人物が、ガラケーを使っていたのです。
ただ、パソコンは持っているので、バンドを組むことになるメンバーともLINEのようなものでやりとりはします。
彼は貧乏なのか?と考えましたが、そうではありません。
家は離島にあり、母親はそこで医師として働いており、貧乏とは思えません。
そんなハイテクなものを使えない機械音痴でもありません。(現にパソコンを使って音楽を作れます)
彼はスマホなど必要ないと思ってガラケーにしているのです。
自分が好きな音楽制作と、島の病院を継ぐため医師になるための勉強に全てを使いたいのです。
これは「スマホは無駄の象徴である」事を示しています。

ただるい君のデバイス環境を私たちが生きている世界で実践しようとするとなかなか難しいですよね。
最近ではご飯屋さんでも自分のスマートフォンから注文、なんてことも珍しくありませんし、契約手続きなども全てそうです。(今、引越し作業真っ只中なので痛感しました)
るい君の離島住まいという特殊な環境だから可能なことなのかもしれません。

彼はいわゆる「デジタルミニマリスト」だと思います。自分に必要なものを先に決めてそれに不要なデバイス、サービスを排除していく考え方です。
彼は音楽と医大合格のために今の環境になった。
その自分に必要なものが見つかっていない人には、大量の情報に触れることが大切な気もするのでジレンマだなーと思ったりするのですが。

るい君は物語のラストに医大に受かって島が出る描写があったので、環境が変わった時、それでも彼がガラケーを使うのかが気になります。


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