見出し画像

日々の選択。

時の経つのは早いもので。。ある年齢からは1年の早いことですね。
もう10月。暑い暑いと過ごしていた先頃からしたら、朝夕涼しくなりましたね。祖母の口癖でした、「暑さ寒さも彼岸まで」。

先日、ご縁のあった方々との会食へお邪魔させていただきました。会場は熊本県南の地方都市。多感な10代後半を過ごさせていただいた土地でした。

会場へ徒歩で向かう道すがら、同窓生と過ごした運動公園やら、地元のお祭のお稽古やら、車の通れない踏切やら。当時のことを思い出すには十分な情景に出会うことができました。

私自身の実家からは20キロほど離れたこの都市は、もともと何のご縁もなかったのですが、恩師や両親の勧めもあって、選択し受け入れていただいた場所です。実家の地元からこの土地を選んで、受け入れていただいたのは私ひとり。不安と希望入り乱れドキドキしてお邪魔していたのを今でも思い出します。

その選択の甲斐もあって、その後の進む道を選べたわけです。。。

そんなことを思い出しながら。

変わらぬ街の風景と営み、変わっていく生活。いずれにしても、底にいる人達や私自身の選択の繰り返しによって今が作られているのだなぁと。ふと。

指定管理者制度や、運動部活動の改革や、ひいては人口減少社会から地球の温暖化?まで。。。

個人の一つの選択が、社会に対して大きく影響するという事はなかなか想像できませんが、一人ひとりの選択が仕事を紡ぎ、家族を構成し、家族間の関係を織りなして、今という時間や社会があるのだなぁと。。

私がお邪魔していたあの3年間から、変わったことと変わらないことは、その地域にお住いの方々の数々の選択の積み重ねなのだと。

私自身を振り返ってもその後、ライフステージそれぞれのタイミングで、選択し今があると。

それは、社会を構成する様々な組織においてもまた同様で、身の回りにある学校や、会社、自治組織や、交流サークルや。そこに所属する人たちの選択の結果が今という現状を良くも悪くも生み出しているのだと、ぼーっと思いながら。

つまりそれは、私自身も、私がお手伝いする様々な組織も、ご縁をいただく地域の方々も。「今、選択し行動することが、明日、来月、来年とその将来を形成していくのだなぁ」と思い至り。

無論、その選択肢の幅は、社会の情勢他、これまで選んできた結果の環境など、今、無限に何でも選べるものばかりではありませんが、その中でも、与えられた常識にとらわれず、選択できるものもあるのだろうと。

アタリマエのことではありますが、今日という日を、自分自身や家族、地域の事を大切にしながら、何を選ぶかを丁寧に真摯に、愉快に楽しく行動していくことで、私達が思い描く未来に繋がっていけばいいなぁと。考えたことでした。(*^-^)ニコ


いいなと思ったら応援しよう!