【翻訳】バラティンスキー(1)
今、気になっているロシアの詩人、エヴゲーニー・バラティンスキー(Евгений Боратынский、「Баратынский」とも)の詩を翻訳しました。ウィキペディアのロシア語版には「ロシア文学において、最も輝かしく、それでいて謎多き、未だ評価の不十分な人物の一人」と紹介されています。
私の才は乏しく、声も大きくはない、
だが私は生きており、私の存在も
この地上の誰かにとっては愛しいのだ。
はるか後の人々は、詩の中に
私のことを見出してくれるだろう。
誰が知ろう、私の心が
彼らの心と結びついて、
私が同世代に友を見出し得たように、
後の世代に読者を見出し得ないなどと。
[解説など]
バラティンスキーは19世紀前半に活躍したロシアの詩人です。プーシキンとは同時代人で、個人的にも面識があり、高く評価されていたようです。ただ、よほどロシア文学に詳しい方でもない限り、彼の名前はご存じないでしょう。バラティンスキーは内向的で繊細な人柄だったらしく、自分の作品を広めることにもあまり熱心ではなかったようです。晩年は文壇とも距離を置き、批評家からの無理解に苦しみ、44歳の若さで旅先のナポリに客死しました。その後半世紀ほどは二流の詩人とみなされていましたが、20世紀初頭の象徴主義詩人らによって再評価され、現在に至ります。
実のところ、私が彼の存在を知ったのも比較的最近のことで、マンデリシュタム(Мандельштам)のエッセーを読んでいたら、上記の詩が引用されていたのがきっかけです。そのときは、この詩に描かれているとおり、時代も国境も越えて作品が私を見出し、私が作品の中に彼を見出したかのように感じました。マンデリシュタムもエッセーの中で、上記の詩行を読む人は、突然自分の名前が呼ばれたかのような喜びに震えるだろうと述べています。この喜びを分かち合いたいという気持ちが、この詩を訳す動機になりました。