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【翻訳】バラティンスキー(2)

詩の翻訳です。「ロシア文学において、最も輝かしく、それでいて謎多き、未だ評価の不十分な人物の一人」、エヴゲーニー・バラティンスキーの作品。


楽しんでください、すべては過ぎ行くのですから!
我々に対し時に優しく、時に厳しく
運命は、気まぐれに
喜びと、苦しみとをもたらします。
その長い厚遇はあり得ません
不確かな幸せの時々を
急いで掴んでください。

嘆かないでください、すべては過ぎ行くのですから
我々に突然
幸福をもたらすのが
過酷な不幸だったりすることも
間々あることです。
そして移り気な地上の
楽しみにも、哀しみにも
公正なる神々は
等しい翼を与えたのですから。

[解説など]
人は、市民としての公的生活と、私的生活とを両生類的に生きていると言えるでしょう。社会的・政治的事件や、天変地異などが起こると(目下、起こっているところですが)我々はひどく公的生活の方に巻き込まれるようになります。社会に責任を持つ市民として、公的生活に関心を持つことは、もちろん必要でしょう。ただ、世界というものは本質的にままならぬものであり、我々の人生における最良の部分は、夕日を見たり、散歩をしたり、好きなことをやったりという私的生活の中にあるのだということを、この作品は静かに語りかけてくるようです。各連のはじめに「全ては過ぎゆくのですから」というリフレインがありますが、第1連と第2連では意味合いが逆転しており、実に見事です。

ところで、ロシア人と話していると、「経過する、過ぎる(пройти/проходить)」という単語が使われるのをよく耳にします。慰めの言葉として「何もかも過ぎていくんだから」とよく言いますし、風邪も「直った」ではなく、「経過した」と言います。そんなふうに考えると、結果ではなくプロセスに着目するのがロシア的なメンタリティーなのかなという気がしないでもありません。もちろん、この一事だけをとってそう結論したとなれば、短絡的のそしりを免れないでしょうが、思えば、我々の人生はあるありがたくない結末に向かって進んでいることを否定できず、人生の良きものは全てそこに至る過程の中にあるわけですから、忙しすぎる日本人の一人として自分の生活を省みる良いきっかけになったことだけは確かなようです。

#詩 #ロシア #ロシア文学 #文学 #翻訳 #バラティンスキー

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