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人生は大海原

人生は苦なり

という言葉があります。
この言葉、若い時に聞いたことがあって「なんてネガティブな!!」と反感をもっていました。

30代半ばのこの頃。改めてこの言葉に出会って、だいぶ感じ方が変わったな・・・と思いました。
ただのネガティブ格言ではなく、むしろ親切に謙虚に幸せに向かって生きるヒントを与えてくれる、そんな示唆深さを感じるようになりました。

私は、2人兄弟育児しながらフルタイムで働いたり転職したり移住したりして、傍若無人な夫をなんとかやり過ごしながら、一旦専業主婦に落ち着いた
「ふつうに一生懸命生きてる令和時代の母親」
です。

そんな凡人視点で今日は「人生は苦なり」という言葉に向き合って考えてみたいと思います。

人生は苦なり


これは仏教思想で、ブッダが説いたお経の言葉からきています。
仏教って「人生は苦なり」が出発点なんですよね・・・

若かりし頃の私のように、言われると反発を覚える方も少なくないと思います。なぜでしょうか。

「楽しいこともあるもん」
「楽しそうな人がいるもん」

と、思うからですよね。

人生は苦もあれば楽もある
人生は苦しい人もいれば楽な人もいる

だったら、「うんうん」となりますが

苦なり

って言い切られると、「うーん」となる人が
少なくとも今の日本では多い気がします。

でもこれを突き詰めると、結構考えさせられるものがあります。

羨ましいのは苦しい

子育てで苦しんでいる人もいます
子どもがいなくて苦しんでいる人も、います

結婚して苦しんでいる人もいれば、
結婚しないがために苦しんでいる人もいる

大企業で苦しんでいる人もいれば
ベンチャーで苦しんでいる人もいます

家を買う、転職する、移住する、子どもの人数、反抗期….

苦しみの種類は大きく違いますが、みんな悩みの人生ですよね。

悩んだり苦しむのは、手に入れたいものがあって手に入らないから。とも言えるのかなと思います。

子供に恵まれたら1人の時間が
大企業の待遇に恵まれたらベンチャーのやりがいが
家を買ったら賃貸の気軽さが

いいなあ・・・

口には出さないけれど
心の奥でなんだかいつも他人が羨ましくなる気持ちが湧いてくる。

「自分が持ってなくて他人が持ってるものが欲しくなる」のが人間の性質というやつかなと・・・感じます。

独身の時は、あたたかい家庭ある既婚者が
結婚したら子育てに仕事に充実したワーママが
ワーママになったら自由な独身者が
専業主婦になったらやっぱりキラキラワーママが

羨ましい

あの家の旦那さんは優しくて気が利くなあ
あの人ママなのに美人でなんて余裕があるんだろう
明るくて社交的なママだなあ・・・
穏やかな家庭だなあ
よくできた素敵な旦那さんだなあ・・・(2回目)

羨ましい

こう思う自分が嫌になってインスタをアンインストールしたこともありました。

それぞれに悩みはあるよねって頭ではわかっていても、そんなこと言ったらカッコ悪いので口には出さなくても、
心のどこかでいつも誰かが羨ましい。
呆れるくらい「ないものねだり」の気持ちが起きます。

「他人のものばっかり欲しがらないで!十分持ってるでしょ!」って、子供にいつもお説教するけど、心の中は同じなんだよなあ・・・。

幸せほいつまで続くのか

別に誰かが羨ましいとかないよ、人生ぜんぶ暇つぶしだから、と言ってのける人もいます。
今は最高に幸せだし誰も羨ましくもない。
という人もいます。

問題は、「それがいつまで続くか」ということ。

ないものねだりがちな私も、「私が一番幸せ」と思った時代もありました。
新卒で就職してからの2年間。
ただ毎日が充実して仕事も遊びも恋愛も楽しくて仕方ない。
まさに「有頂天」というやつです。
(調べてみたら有頂天も仏教用語でした。)

有頂天、という言葉の響きから直感でわかるように
これには残念ながら、必ず突き落とされる時があります。

私の場合、有頂天生活は
自分や友達の結婚、会社の組織変更などで終わりました。
特に自分の結婚については「結婚って幸せになるもんじゃないの?!」ってびっくりしました。笑

突き落とされると、その落差がそのまま苦しさになります。
あえて悲観的な見方してみると「私いま最高に幸せ」の「幸せ」は将来の「苦しみのもと」になっているともいえます。

それがわかっているから落差をなくそう、小さくしようと努力する人もいます。「暇つぶし」という思想もそこからきてると思いますし、そういうふうにしている人を、賢いなあ、と思うこともよくあります。

でも・・・歳を取ったらどうでしょうか?

老化、地震、津波、病気、インフレ、景気変動・・

人生、色々なことが起こります。
どんなに頑張っても、死ぬまで現状維持するのは実は困難です。
今は最高に幸せだとしても、いつかまた
「誰かが羨ましい」状態が必ずきてしまうのではないでしょうか。

いつも「誰かが羨ましい」という気持ちから離れられない
「誰も羨ましくない」ほどの幸せは、続かない

人生の不都合な真実という感じがします。

幸せになりたい

みんな幸せになりたくて頑張って生きてますよね。

幸せを目指す人生の道のりを描くのに、意外と忘れがちなのが、現在地の確認なのかも・・と最近思います。

自分がどこにいて何を手に入れようとしているのかの分析がまずは大切じゃないのかな、と。

いま自分は何かが足りなくて苦しんでいる
いまは足りてるけど、不安定な場所にいる

実は、全人類がこのどちらか、または両方の状況にあるのかも、と思います。これが人生なんじゃないかなと。

そうすると、この事実をまずは受け止める
つまり、現在地を確認するのって結構大事な気がします。

いやいやそんな事考えたら気持ちが暗くなる!と
現在地を誤魔化しても、それで幸せになれるわけではない気がします。

どんな人もそれぞれの場所で、苦しんでいるか、苦しみと隣り合わせの場所にいる。
人間の一生ってそういうもの。
「人生は苦なり」
これを受け止めるのが幸せへの出発点ではないかなと思うんです。

人生苦なりが幸せへの出発点なんて、
一見、矛盾してるけれど。
矛盾にこそ真実味があるというのが最近の私の感覚。

与えて失うものはない


どんな人もそれぞれの場所で、苦しんでいるか、苦しみと隣り合わせの場所にいる。
そうすると、与えて失うものなんてないんじゃないかっていう心境になってきます。

「あの人の方が私より幸せだもん・・・」って思えば、その人のためになにかしようとは思わないけど
「実はみんな苦しい」としたら、「助け合おうぜ」って気分になりやすい気がします。

私の場合、これまでの人生、「羨ましい」と思った何かを手に入れようとした人生だったかもしれません。もしくは「手に入れた幸せを離すまい」としていたのかも。

でもほんとはそんなものなくて、いつも雲を掴んでいたのかもしれないなあ、と思ったりします。

いろんなものを手に入れたところで結局不安定だし
欲張って幸せになるものではない。

ネガティブで向上心がないように聞こえるかもしれないけど、そういうことではなく。

誰かの上に立ったり、人より多く手に入れたり、キラキラしようとするのではなくて
「どうせみんな苦しい人生なんだから、助け合うしかないんじゃない?」
っていう視点を持ってみてもいいんじゃないかと、思うんです。

手に入れた幸せをだれかにお裾分けするのって実は難しい。
みんな苦しいよねって励まし合うことの方がいいなって思うんです。

人生は苦なりというのは
「人生は大海原」という感じ。

みんな海で必死で泳いでいるんです。
だれも豪華客船なんて乗ってない。

いつ転覆するかわからない何かに掴まっている人はいるかもしれません。
自分の方が泳ぐの大変かもしれません。
でも、せいぜいそんなくらいの差です。やっぱり大海原を泳ぐのは大変です。

そんなくらいの差とおもったら、まあいいか、困ったらお互い様、助け合おうぜって気持ちにもなりませんか。

親切に謙虚に生きていける気がします。

人生は苦なり


とことんネガティブになりきった結果、なぜか前向きになれるような不思議な言葉です。

そんなことで、ブッダの教えは一つひとつ奥が深すぎるので私は勉強を続けています。

人生は大海原


広い海で偶然にも出会った遭難仲間と、励まし合いながら生きていけたらいいなと思います。


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