明治以降の偉人に影響を与えた「聖人」の美徳(3)
今回は「山田方谷(ほうこく)」という人物について書きたいと思います。
九兵衛が最も尊敬する人物です。
過去2回にわたって「美徳」とか「道徳」が1万年を超える人類共通の規範で、普遍的なものであることを述べてきたのは「山田方谷」を知ってもらいたいというプロローグであったと言っても過言ではないかもしれません。
倉敷の北で、現在の岡山県高梁市にあたる備中松山藩の人で、幕末期が始まる直前の時代に活躍しました。学問を学んでいた頃は佐久間象山とライバル関係にあったとされています。備中松山藩は江戸初期は茶人・建築家・作庭家の小堀遠州が統治していた時期もあり、領主はいろいろ代わり板倉家が5万石で入封しますが、基本的に小藩です。
山田方谷は血筋こそ源氏の出自でしたが、武士ではなかったものの、学問の才で取り立てられお家再興を果たし「備中聖人」とまで称せられるようになりました。藩の参与(藩主へのアドバイザー役)になり、のちの明治政府の岩倉具視、大久保利通、木戸孝允らも高く評価していました。
山田方谷の藩政改革の偉業は以下のとおりです。
藩の財務状況を公開して大阪商人の信用を得た:この時代で財務の透明性がすごい。
特産品を次々と開発して経済を豊かにした:目のつけどころがすごい。
藩札(藩が発行する紙幣)を焼き払って、新たな藩札の信認を得た:民を納得させる方法がすごい。
後進や後世に大きな影響を与えた:河井継之助(長岡藩)・久坂玄瑞と高杉晋作(長州藩)・三島中洲(備中・方谷の弟子・二松学舎大学を創設)・渋沢栄一(三島中洲経由)。さすが、聖人と呼ばれた影響力。
朱子学と陽明学を融合させた
いろいろ細かい偉業はあるのですが、ここでは触れません。私が最も共感するのが「朱子学と陽明学の融合」です。
朱子学は人格と学問を完成する実践道徳であって、敬う心を忘れず行に励んで、世の中の原理を究めて知を磨くというアプローチです。これは誰でも朱子学の書物を順を追って学べば深く学ぶことができます。難点は現実の問題にどう対処するべきかの解決方法は示していない。
一方、陽明学は、理屈を知って判断力を養い、心のままに自分の責任で行動することを説いています。十分な知識を得た人物が学べば道理をより正しく判別でき、事業において成果を出すことができるというものです。しかし短所としては、陽明学には未熟な人物が学ぶと独善に走って努力を怠り、道理の判断を誤ることが多いという欠点があります。
そのため、山田方谷は朱子学を修めた者でないと陽明学を教えない方針をとりました。そして「至誠惻怛(しせいそくだつ)」という言葉を残しました。
陽明学は「行動の哲学」であり、物事を合理的に考えること、そしてそれを行動する心の作用を明確にしています。合理主義、プラグマティズム(実利主義)に通じる考え方とも言えます。目的がこうであるならば、そのアプローチはこうあるべきなので、このように行動すべきだ。そういう思考方法になります。
実際に、19世紀ごろの世界を見渡しても、人間として知識があればすべて解決できて発展できるという啓蒙主義(Enlightenment光を照らす:理性や知性による思考が光を照らす)が広まって、席巻していました。結局、この啓蒙主義は大量の死者を出した第一次世界大戦というヨーロッパの悲劇を回避することができなかったとして廃れていきます。しかし、啓蒙主義の反省として共産主義が登場します。
そして現代の世界に災厄をばらまいているマルクス共産主義者(急進左派とかグローバリストと呼ばれる)の政治リーダー(米国民主党やEU理事会など)につながります。
細かくは、資本主義・社会主義・共産主義という考え方に分かれるのですが、ここでは省略します。
渋沢栄一が「日本の民主主義の父」と評されるのは、現代につながる多くの会社を設立したからです。渋沢栄一の晩年の大正時代になって「論語と算盤」を著して「道徳経済合一説」を唱えました。
道徳とかけ離れた詐欺的な行為、商売そのものが不道徳であること、小手先の権謀術数的な商才は、商売の王道とは程遠く、真の商才ではないと言っているわけです。
フランスで株式会社制度を学び、陽明学的な・啓蒙主義的な・資本主義的な考えに影響を受けて、数々の株式会社や銀行や経済団体を立ち上げた渋沢栄一ですが、最後に行き着いたのは「山田方谷の朱子学(道徳)と陽明学(経済)の融合」という考えに端を発する道徳経済合一説なわけです。
九兵衛は現役時代に世界各国の株式や債券に本業として投資をしていました。その前提として学んでいたことがあります。欧米諸国でもキリスト教の宗教的な考え方や民族的な慣習など、その道徳観をもとにして法体系も異なります。アングロサクソン的な慣習法で判例主義の英米法もあれば、ローマ法を起源としてゲルマン民族が発展させた大陸法などです。イスラム世界ではシャリア法にもとづいたイスラム金融という独自の金融ルールがあり、利息を禁じ、また投機的取引を禁じています。
つまり、宗教や民族の道徳的概念が土台としてあって、普遍的な法体系がその上に成立しています。その上で経済活動が成り立っているので、その国の株式や債券に投資する場合には、その土台部分の理解が必須なのです。
ほとんどの場合は、日本の法律に慣れている私たちでも、人類のベースとなる道徳感や美徳の概念は共通なので、その国独自の法律の違いがあっても理解は可能です。
土台のピラミッドにさらに上には、「XXX主義」のような派生的主義(パラダイムと呼んだほうが良いかも)があります。これには時代の流行りすたりがあります。民主主義・資本主義・社会主義・共産主義・自由主義・新自由主義・市場主義・能力主義・実力主義・平等主義などなど。
つまり、これらのパラダイムはファッション・スタイルのようなもので、決して普遍的なものではないわけです。
さらに、その土台の頂点には、「ファッション的なパラダイム主義を金科玉条のように掲げた政党や政治家たち」がいるわけです。
なので、そのときどきの政策がうまくいく場合もあれば、失敗に終わることもあるのです。今の米国民主党やEU理事会の政策は典型的な失敗例です。
そうやって考えると、どんな世の中でも決して変わらない「宗教や民族の道徳」と「それぞれに共通する道徳や美徳の価値観」という根本原理を決して逸脱してはいけないことが分かります。
九兵衛が、YouTube九兵衛の視点でことあるごとに道徳について触れるのも、山田方谷を尊敬しているのもここに理由があります。
そして、前回(2)でも書いた「外国人が日本を旅行して『日本らしい道徳観』に触れて、それに共感を覚えて日本ファンになって帰っていく」という現象は、やっと、そういう新たな価値観(原点の価値観でもある)が日の目が来る時代に差し掛かっていると実感するのです。