一定速度で流れていく車窓の景色を眺めるのが好きだった。
私は電車に乗れない。
正確に言うと"一人"で電車に乗れなくなった。
高校1~2年の頃、一人で電車に乗って当時作っていた美容垢で情報収集したコスメや洋服を買いに行っていた。今では近付きもしない都会の方まで。時にはアイドルのライブに行き、さらに美容へのモチベーションを高めていた。あの頃は学校、アルバイト、病院と場所問わずヘアメイクに1時間以上はかけていた。今の私の姿を見たらドン引きしちゃうだろう。
そんな「普通」もあっけなく終わりが来る。
高校3年の夏、母親と一緒にオープンキャンパスへ行くことになった。第一志望の大学だったため、胸は高まるばかりだった。
大学まで約一時間半ほど。「学食楽しみだね」「オムライスとかあるかな」「それより先に学部説明でしょ」と話しながら電車に揺られる。
スマホでもう一度大学の校舎を見る。今日で何回目を通したホームページだろう。ドキドキとワクワクが私の理想に息を吹き込んでいく。
最寄り駅まで5つ前。少しずつ人が増える。
そんな中、発車寸前で男性が一人乗ってきた。
他の空いている席には目もくれず、ただ真っ直ぐ私の前に向かってくる。少し大柄な体形で、カバンらしきものは何も持っていない。隣の席には座らず、目の前でぼそぼそと何か呟いている。
母親は何かを察知したのか、さりげなく私にスマホを見せる。
「次の駅で車両変えようか」
返事の代わりに、母親の袖をこっそりつまむ。
その時だった。
落雷のような罵声が車両に響いた。
あまりの衝撃と恐怖ではっきり覚えてはいないが、良い言葉ではないことだけは分かった。
最寄りまで4つ前。
怒鳴り声に少しかき消された車両アナウンスが響く。母が私の手を引いて降りようとしたが、両手を伸ばされ降りる事が出来ない。こんな時に限って端っこの席を座ってしまった。
誰か助けてと何度も何度も願いつつ、ドアは無情に閉まる。それの繰り返し。乗車時より人は増え、比例する目線と逃げ足がまた怖かった。私たちだけが逃げられない。母は私の手を握り、ただ冷静に、暴言を吐く相手へ「うん、うん。ごめんね。ごめんなさいね」と謝っていた。それでも落雷は鳴り続けている。このままじゃ殺される、殺される、殺される。
最寄り駅到着のアナウンスが鳴り、隙をついて降りることに成功した。
初めて人間を通して死を感じた。
あの人がもし刃物を持っていたら、殴りかかってきていたら、と思えば思うほど怖くなって足がすくんだ。降りてからも母はずっと私の手を握ったままだった。
震える足を誤魔化しながら、オープンキャンパス開始ギリギリで校舎に入る。説明会は4階、エレベーターを待つ。同じように滑り込みで来た人たちがいてほっとする。全員入りきるかなと後ろを振り返った時だった。
落雷を落としてきた人がいた。
また小さく、小さく何かを呟いて私の後ろに。
母親に目配せをし、階段で説明会場まで上がる。こんなドキドキをしに来たんじゃない。まさかつけられてた?偶然?でも最寄り駅で降りてなかったはずだ、なんでここに。
そんなことばかり考えてたら説明会は終わってしまった。恐る恐る会場を見渡す。その人はいなかった。
帰りは父親が迎えに来てくれた。
学食は食べなかった。
車内で大学のパンフレットを見つめる。
もうここには来ることができない。
「ようこそ○○大学へ」の文字が身体中をグサグサ刺してくる。私は歓迎されなかった。
最終的には例の路線とかけ離れた路線で通学できる大学を志望した。自宅の最寄~大学の最寄までは一人で乗れるようになった。
もう都会へ美容品を買いに行くことはない。
ライブにも行かなくなった。
異性に恐怖心を抱くようになった。
どうしてもその付近まで行かければならない時は帽子、マスク、フード、耳栓スタイルで乗車し、座席には絶対に座らなかった。
どうしてもダメな時は休むこともあった。
就職先も電車通勤がない地元の会社を選んだ。
転勤にもなって電車に乗ることになったら辞めようと思っていた。
今でも当時のことを駅付近を通る度思い出す。
誰かに殺されかけたり、追いかけられたりする夢を見るのはそれからだったかもしれない。
私はまだ、あの改札を越えられない。