モンテッソーリ vs 一斉教育 —前— 異次元ファイッ!
これは、モンテッソーリと、一斉教育とで、幼稚園選びを迷っているというエッセイです。
迷いすぎて混乱し、考えながら書いています。まとまっていません。
消すかもしれません。
よろしくお願いします。
現在の娘
娘は2歳3カ月。これまでうちは保育園を利用せず、在宅保育をしています。
父方母方両方の両親が比較的近所で、週に1〜3日は遊び相手を担ってくれている点もその判断理由です。
娘はとても活発で、特に歩けるようになってからは、外へ外へと興味が向いています。
生まれた時の方針は、幼稚園までは在宅でいいかな、私も片手でできる仕事を強化すればいいし…(っていうか可愛すぎて国の研究機関に目を付けられるから外に出したくない一生出したくない可愛いああ可愛い略)という、箱入り方針。
加えて私自身が純夜型人間、朝は朝日を浴びると口から煙を吐いて布団のシミと化す、体育大嫌い、朝型人間達が全員この足元にひれ伏して謝る日までは学校行きたくない、という人間であるため、娘もそのようになる予想、覚悟をしていました。
しかし、育ってみれば早起きで活発、動き回って親の身体はアイスダンスの型のようなアクロバティックなバランスを取る相手にさせられ、吹雪でも猛暑でも外出要求し、おまけに車電車バス新幹線ヘリコプター飛行機の乗り物大好きという予想外の性質を見せます。
私は朝も苦手で体力もないほうなので、外出要求にすぐに応えられないまま時間が経つなど可哀想な思いをさせる日もあります(noteとかSNSは、どうせ眠れないとわかりきった時間にやるので大丈夫です)。
そして、やはり「区切り」が希薄な状態(地球上の全ての貴重品を集めても到底及ばない割れ物がずっと私の管理下にある状態)が日々続くことは、大人側の精神力や判断力が削られると同時に、娘の日々の成長を見逃して、過大に赤ちゃん扱いしてしまうことにもなると実感しました。
異次元だった2つの園
そこで、未就学児保育付きの幼稚園を、ここ2週間の間に2カ所見学をしました。
私は、何か迷ったら、実際に見て比べることで、すぐにどちらが良いか感じることができます。
しかし、今日2園目を見学して、2つの園が違い過ぎて、どっち、どっち、と選べずに結構混乱に陥りました。
一軒目はモンテッソーリ、
二軒目は一斉教育英才型です。
モンテッソーリの素晴らしいところは、異なる年齢の子が1つの教室で作業をすること。
自然の生き物として、それが普通だと思います。
むしろ、「クラスで一番背が低い」という状況を、幼いうちから成人近くなるまでほぼ変えることができないのは、精神の成長に害悪と言っても過言ではないのではないでしょうか。
私がそうでした。
クラスの先頭さん、世話焼きさんが世話を焼いてくれる。小学校に上がっても世話焼かれる立ち位置、なんとなく劣等感。
中学が終わるまでに身長は女子平均まで伸びましたが。
今考えると、同学年で一斉に行動することの不自然さ、精神形成の上での悪影響を強く感じます。
モンテッソーリはそうではないのです。
異年齢の子が、お家のような環境でそれぞれマイペースに作業しています。
娘も、お家のような教室にすぐに馴染み、好きに遊び始めました。
逆に、二軒目は一斉教育を極めた感じでした。
300人超のマンモス校で、講師はみんな上手。教育番組のおにいさんおねえさん顔負けのクオリティ。
めまぐるしい中、幼稚園児たちは「鋏」のパネルにシザー!はさみ!と叫ぶのには驚きました。英才教育が成功しているように見えました。
一方でモンテッソーリは、「大人に言われたことをそのまま行うのではなく、納得してから行う」。
よく戦争が起きないな、と思うほど対局でした。
家でできることか、家でできない経験か
また、モンテッソーリの説明は、私が本を一冊読んでいたこともあるかもしれませんが、「うんうんだよね」と思うことばかり。
何故なら私の母が、モンテッソーリのエッセンスを自然に持っていた人間だからだと思います。
子供を矯正するようなことをせず、他人と足並みを合わせることを重視せず、面白いと思うことを大事にし、表面よりも本質をいつも見ようとする。
立派な母…みたいですが、子供心と自由を大事にしている旅行好きです。
そのためか、モンテッソーリ教育の提唱することは、私にはえっ普通じゃんと正直思う部分が多いのです。
(ちなみに、共感したり自然にできていた部分あるだけで、私が、モンテッソーリ教育を受けたわけではありません。
確かに小学校卒業までは優秀なほうでしたが、中学受験を前に、なんと母はスパルタ教育に変更。鬼のような顔で早朝から計算問題をやらせました。
その残念な突然の母の180度の変容により、勉強嫌いと反抗期が大幅に悪化しました。
「あれは失敗だったね…」と今は母娘で苦笑いしております。)
そして、家でもできるのでは?と。
一方、一斉英才教育の園ですが、こちらのクラス見学は子供番組、それも上質な子供教育番組の中に入ったように驚きの連続であったことに加え、園長先生の頭がすごくキレていました。
正直最初は苦手目の、アクセサリージャラジャラしているおばちゃん。
お話も、自分の話から始まってー…と、ワンマンっぽさを発揮していました。
しかし、年子で4人を育てたという話を聞いているうちに、この人は経験や実践のデータを自分の中にデータベース化してストックできる人だとわかってきました。
自分話が止まらないおばちゃんは良くカフェでも見かけますが、すごい経験をしていたとしても大抵は正確なデータベース化ができておらず、感情がからまっているだけで聴き手が困っています。
でもこの園長おばちゃん先生は、データベースが正確で、しかも実践して裏付けを取り、更にPDCAを回している。
感情は感情で別のストックとして、味付けに使う。
これはカリスマだなと思いました。
私としても、抜けていた点をいくつか気付かされ、反省することもありました。
私は、このおばちゃんの話をもっと聴きたい。
**「私ができない、足りないことを、教えてくれるほうが良いのではないか?」 **
私は一気に一斉英才教育園のほうに気持ちが傾きました。
大勢の子が大声を出している教室見学に引いて、グズっていた娘。
おやつを餌に母子引き離され、説明会を受ける一時間、ぐずるかと思えば体育館の遊具で遊んでいる。
娘の大好きなカッコいい送迎バスもある。
そして、私は一斉教育本当に嫌いだったのか?
モンテッソーリのほうが、教育として理にかなっていると、頭ではわかっている。
でも何故だろう、カッコいい二階建ての広い園、整列する子供、一斉行動の集大成である鼓笛隊。
私自身、幼稚園の鼓笛隊は強く印象に残っている。厳しい講師が呼ばれていた。ちゃんと練習してちゃんとやっただけだったと思う。終わりに先生が泣いていた。つられて泣いた。
意識していないけれどあれは成功体験だったと思う。
私は小太鼓がカッコいいと思って小太鼓を選んだ。
26才でドラムを習いに行き27才で初ライブをやった。人生において大きな成功体験。思えばそこに繋がっている。
一斉教育って、悪いんじゃないんじゃないの?
幼稚園じみている、小学校じみている、嫌いだ、と思うけど、いざそれを取り去ろう、取り去ったモンテッソーリにしてみよう、と踏み出そうとして初めて気付く。
なんだろう、この憧れ。
大勢が居る大きな校舎。
私の通っていた幼稚園にも似ている。そしてそんな校舎は、夢の中に時折ラビリンスとして出て来るのだ、現実には無い屋上庭園まで出現して。
そのイメージを極端に追求すると、下級生と、上級生の厳格な規則。
上級生をお姉様と呼ぶ、「マリみて」の世界。
規則と制服に縛られた子供達。「トーマの心臓」の世界。
なんだろうこの気持ちは。
それは、ロマンだ。
…群れることを嫌悪した私にも、「群れたい」気持ちがこんなにもあったのか?
…そもそも制服フェチだし。
自分の中の、一斉教育にロマンを求める感性に気付き、驚き、戸惑いました。
*
そんなこんなで、モンテッソーリ教育の園と、一斉教育の園と、異次元すぎて比較が難しい状況に陥りました。
書きながら考えています。
まとまっておらず、すみません。
どなたか詳しい方、是非助言くださいませ。
後半おいときますね
https://note.mu/kyrie_jpn/n/nfa37eddda24c
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