noteをはじめるので自己紹介
染物屋の長男です
はじめまして。
岩手県一関市で、大正7年創業の染物屋を兄弟で経営している兄の蜂谷悠介です。
創業以来、全国の民俗芸能の衣装、お祭りの半纏、浴衣などの受注生産を生業としています。
私は、3人兄弟の長男で、2才下の妹は幼稚園の先生。5才下の弟は、私と一緒に働いています。
大学卒業後、デザイン、IT系の仕事を経験し染物屋に弟子入り。
約8年間、染物工場で職人として働きました。
染物が好きで、絵を描くことが好きで、染職人の時間がいつまでも続くと思っていましたが、父が癌で他界したことをキッカケに32才の時に事業継承し経営のことも考えないといけなくなりました。
経営なんてわからない
父が癌だと分かった時には、もうステージ4。手遅れ。
余命3ヶ月とお医者さんから伝えられました。
経営のことなど考えずに、染物だけをやっていれば良いと思っていた私は、顔面蒼白。頭まっ白。
何も考えることができませんでした。
経営とは何か、親父は普段何を考え、どんなことをやっていたのか、全くわかりません。たった3ヶ月でそれを把握し、全てを引き継ぐなんて到底無理。(当時は家族経営の個人事業主。それでも私にとっては一大事でした)
あの当時は、本当に、もう絶望ど真ん中でした。プレッシャーに完全に潰されていました(笑)
泣きっ面にハチ
プレッシャーの中、バタバタと目まぐるしく日常に追われているうちに、父は他界しました。死に目に会えなかったことを今でも悔やんでいます。
父の命日は2010年6月9日。
そして、9か月後に東日本大震災。工場が全く稼働できない被害にあいました。
さらに追い討ちをかけたのは、全国的なイベント自粛ムード。全国のお祭りも中止になっり、衣装や半纏、浴衣、手拭の注文も全てキャンセル。
まさに、泣きっ面にハチ。傷口に辛子。
経営の素人に、どうしろと? この時ばかりは、神様を恨みました。
法人化してみたけど…
その後、なんやかんやあって、2013年に法人化。
(なんやかんやあった過去の話は、いずれ紹介します)
代表取締役に就任し、周りから「社長!」と呼ばれ、浮かれ気味。(いや、完全に浮かれて、見栄を張り、その気になっていたな笑)
売上も順調に伸び、社員も雇用し、かなりいい感じ♪と思っていたのですが、決算書は大赤字。会社を潰しかけました(笑)
今は笑い話にできますが、当時は胃に穴が開きました。弟は顔面に帯状疱疹が出て、本人確認ができなくなるほど人相が変わってしまうくらい、大変な状態でした。
赤字経営からの脱出
大変な経営状態から、上向き始めたキッカケがいくつかあります。
そのキッカケについても、今後noteに書いていこうと思います。
現状だけをお伝えすると、田舎の染物屋が、今では海外取引していたり、大手企業とコラボ商品を販売していたり、自社ブランドを展開していたり、新卒採用2名枠に対して無課金で50名以上の応募エントリーがあったり。経営も黒字化できて、ホワイト企業大賞や、グッドアクションアワード入賞したり。
いろいろ成果が出始めました。
noteで書くこと
会社を経営していると、いろんなことで悩みます。
悩んできたこと、悩み中のこと、解決したこと、チャレンジしていることなど、いろいろシェアしたいと思います。
また、私が興味を持っていることなどもいろいろ書こうと思います。
読者の皆さんと沢山交流できたら嬉しいです。よろしくお願いいたします。
noteで書くことは、以下の通りです。
▷日々の生活や仕事のあれこれ
▷東北の暮らし(祭り、民芸、工芸、食、風景など)
▷kintoneの話
▷MG、TOCのこと