推しの子。それがたまたま我が子なわけで。
まるで絵が、生きてるみたい。
今東京都立川市の
国営昭和記念公園
花みどり文化センター内
現代アート
第10回 花とみどり・いのちと心展
の中で
美沙の絵「ギフト。」を
展示させていただいています。
最初この写メが
美沙から送られてきたわけですが、
息を呑みました。
生きてる。
明らかに息づいている。
あの子がまっすぐ
こっちを見てる。
なんにも混じりっ気なく。
ストレートに。
我が子のやることに
すごいねすごいねって
ただ言ってるだけだった。
いや、ほんと、
すごいんだもの。
私にはできないからこそ。
なんでこれを
表現できるんだろうか。
・・・あんなに、
なんでこれができないんだろう?
そう怒りながら。
私の怒りをぶつけていたけど。
ほんと、鬼な私よのぉ笑笑
学校でも
あれこれしんどい思いもしてたし。
だけど、そんなことを
自分の力で乗り越えたこと。
その中には喜びも
たくさんあった。
乗り越えたからこそ
この絵が生まれたこと。
そりゃ、かなわんよ。
娘の絵を
いいねいいねと言うことは
単純に親バカでありながら
それは単に絵の良さを
いいねと言っているんじゃなく。
彼女が過ごしてきたこれまでの人生を
そして、長女の人生を
そんな我が子たちを育てながら
振り返って
私自身の子ども時代の人生を
自分自身で育て直して
きたということ。
それが意外にも
こんなにも幸せを
もたらしてくれたということ。
それが私にとって
2人の娘たちからもらった
一番大きな
ギフト。だったなぁ。
単純にこの人が描く絵のファンです。
だけでは収まりきれない、
そんなところ。
私自身の心を惹きつけてやまないのは
私自身の心の
何か見えてるのだけど
それを言葉にするには
どうしたら…という
そんな部分に届くから。
美沙が描く絵が
私の指を動かすの。
あの日
お母さんにそう育ててほしかった
そう、願ったこともあったけど、
もしそれお母さんにぶつけたとて
はぁ?
何言ってんの?
なのか
私だって一生懸命
育てたんだよっ!
なのか
ごめんね。
なのか。
それは私が欲しい言葉
なんかじゃなく。
ってか、
それ、今、ちょーぜつ
いらんがなーな言葉。
いつまでも
そこに止まることなく
自分で自分を
自分が望んでいたように
自分を育て直して
あげたらいいよ。
それが一番
自分が望んでいたことだから。
推しの子に。
誰よりも推しの子に
なりたかった
そう願うなら
それを叶えてあげられるのは
自分でしかないんだよ。
そう願いながら
我が子たちを
育てて来たからこそ。
ちゃんとちゃんと
そう育ってる…
わけなくて。
自分の不足分は
人に補ってもらったところで
どんなに注いでも
いっぱいにはならないよ。
いつまでそれを求める?
もうちゃんと
自分でそれをできるだけのもの
手に入れてるはずなんだ。
どこ?って泣いてるのなら
いつでもおいでね。
推しの子は
ちゃんと目の前にいるよ。
いつの日も
どんな時も
ニコニコ笑って
そこにいるからね。
タイミングよく
美沙の会社の上司の先生に
お会いできて。
間違いはチャレンジした証拠。
だからこそ、
うまくできているところより
消極的な部分に
光を当てる。
ほんと、
ステキな会社に
ステキな上司に
それすらもちゃんと
自分で掴むんだな。
ね。
だからほんと、
自分がどんな親であれ
ちゃんとちゃんと
育つように育ってるんだよ。
手が届かないって
ないものばかり見えるけど
ほんとは
自分の気づかない
なんならそれは
当たり前に自分の中に
あるもので全ては
満たされているんだよ。
そこがちゃんといい仕事
してるからね。
ってことを美沙のギフト。を
見るたびに
私は確認してるんだろうなぁ。
うふ。
これを幸せと言わずして
なんというのでしょーか。
現代アート。
本当にすごい。
みんなこれ、
自分っていうものを
表現していて
誰に塗れるでもなく
私がちゃんとそこにいる。
どう表現してもいいし
どう解釈してもいい。
これをじっくり単独で見て
じっくり感じたことを
味わったらまた
面白いんだろうなぁ。
今日もここまでお付き合いくださり
本当にありがとうございます。
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