学校で困っていた子が社会に出るということ。
これあると本当に便利。
と美沙が言う。
テッテレー
時間が目に見える。
残り時間を表示できる。
美沙にとっては
時間の終わりが見えることで
授業もスムーズに
進められるとのこと。
と、それを見る
子どもたちにとっても
わかりやすいらしい。
どんなに口で
あと5分で終わるよって言っても
動かなかった子達が
この時計が出てきたおかげで
何も言わなくても
あと5分だね!と言って
自ら片付け出す優れもの。
でもこの時計、
元々はなかった。
美沙があれこれ考えた結果
これいいんじゃないかと
自分で取り寄せたものだった。
で、これを社内で美沙がプレゼン。
結果、買いましょうって
会社でOKが出たもの。
ってこの前小学校に行ったら
置いてあったー笑
でね。
上司の先生から
「大橋さんが困ることは
どんどん伝えてくださいね」
とおっしゃっていただけたそうな。
誰1人取りこぼさない授業って
学校でこう言ってるけど、
美沙の会社は
誰1人取りこぼさない会社、
なんだなぁ。
発達障害がある。
障害がある。
だからこれができないよねって
そこだけを見て
諦めることは
社会における人材の
大きな損失なんじゃないのかな、
と思ったりする。
支援級か普通級か。
ほんとはどっちでも良くて。
行きたい方向に行く。
いたい場所にいる。
ここでこれができるできない。
と言う視点ではなく、
どうしたら
そんなあなたでも
この場所で
それができるかな。
が、
どうしたら
そんなあなたでも
大事な戦力として
ここで仕事ができるかな。
に繋がる気がするんだよね。
だからこそ、
諦めなくていいよ。
諦めさせなくていいよ。
と、私はいろんな大人に
伝えたいんだわ。
でもね。
学校を見ていて
思うのです。
どうして当事者ばっかりに
頑張らせるのかなって。
あれ使っちゃダメ。
これ使ったらズル。
1人特別扱いになるよねって。
いや、これ使えば
自分の力でできるんですって
どうして当事者が
声上げなきゃ
いけないんだろうなと。
声上げたところで
なんで拾ってもらえないんだろう。
・・・社会の方が
よっぽど優しいよねぇ。
なんて思ったりするんだよ。
だから諦めなくていいんだよ。
この部分本当に困ってるんです。
=それが私の脳の特性であり
「障害」と名づけることでそれを
安心して伝えられること。
どうしたら一緒に頑張れるかなって
何かいい工夫はないかなって
一緒に考えてもらえること
のような気がしてる。
↓こちらから。
その場所を豊かにしたいと思うなら
見ているこちら、
ひとりひとりが
寛容になることなんじゃないのかな。
困ってる人が
困ってるんですって
声を大にすることなく
ふつうに
安心安全に伝えられること。
そしてその場所を作る側に
優しさがあればいい。
でもそれは、
どんな優しさでもいいと思ってる。
いろんな優しさがあることで
それを選べばいいと思うんだよね。
どの優しさを選んでもいいよ。
そもそもね。
「優しさ」の基準も人それぞれ。
私の優しさはこれです。
と伝えてみたところで。
それは優しすぎる。
それは優しくない。
でも、みんな「優しさ」前提で
動いていること。
結局それは
受け取る側の視点でしかない。
だからこそ、
それすらも選べたらいいよね。
選んでいくことで
本当に自分が必要とする
優しさがわかるからね。
優しさを提供するこちら側も
「これが私の思う優しさだよ」
ってことを
自分の目に
見えるようにしたらいいよ。
どっちがいいとか悪いとか
そこにジャッジなんていらないよ。
それが社会を豊かにすること
な気がするけどね。
でもさ。
「優しさ」って
結構曖昧だよね。
だからこそ、
もっともっと
そこを対話できたら
おもしろそうだよね。
下手にお金をかけて
どうにかしようとしなくても
ただ
自分はそれをどう見ているか、
そこを見せ合うだけで
だいぶ世界は柔らかく
なっていくんじゃないかな。
それが成長、とも言う気がする。
私はそんな成長を
いろんな人と
これからしていきたいなって
思うのです。
学校で困った子が
社会を変えていくって
こう言うことかもしれないな。
なーんて思ったりするの。
美沙は学校という場所で
困ったからこそ
今の会社にたどりつけた。
そして実生活は
あれこれ工夫している。
それでも困ってるけど。
だからね。
困るって悪いことじゃないよ。
困ることで日々
成長することもある。
みていて逞しさすら覚える。
そんな自分を生きてくって
すごいなって
思っちゃうわけよ。
ね。
これも私にとっての
親バカなんだってば笑
今日もここまでお付き合いくださり
本当にありがとうございます。