こんなにも豊かな世界だったんだ。
塩焼きにしたら美味しいかな。
あ、紙に色鉛筆で描いたものなので
焼けませんけどね。
さてね。
美沙が小学校から高校卒業まで。
本当にいろいろあってね。
そりゃ語ったら一晩かかるかな笑
もうすっかり
忘れてしまったこともあるし、
もしかするといろんなものくっつけて
新しい事実にしていたもの、
はたまた、
新しい気づきにつなげたもの、
そりゃもう毎日毎日、
いろんなことを考えていてね。
・・・あはっ。
私、嫌だ嫌だ言いながら、
両手で目を塞いで
みないようにするなんてこと、
できなかったんだよね。
その証拠に、
子どもがすっかり育ち上がった今も
そんな学校のことを
聞きたくて話したくて。
そんなことやってます。
だってさ。我が子の発達障害と
向き合うことってめっちゃしんどい
数々のことがありながら、
実はすっごく心豊かな世界を
見せてもらっていたんだなってことに
気づいたのよね。
この世界、
こんなにも心揺さぶられるもの、
なんだよ。
ついでに言えば私自身も、うん。
いろいろできない子だったということに
美沙を見ながら
気づけたこともあったりして。
だからさ、
生きづらいなと
思っていたこともあったけど、
それ以上に、
私は自分の目を通して、
私は自分の感覚・体感を通して、
いろんなものを見てきたんだなぁって
思うの。
そりゃ、誰かが見てる
当たり前の世界を
見ていたわけじゃない・・・って、
その誰かって誰だ?!って
話なんだけど。
だから次から次へと、
そんな世界を勝手に語りまくってるの。
正しい知識はある程度必要だけど、
本当に大事なのは、
それを見てる私がどんな感覚で
何をどう感じてきたか、
という経験・体感がものを
言ってる気がしてる。
だから、この人熱い人と
思われているんだろうか
もっと落ち着いた語り口で
いろんなことを語りたいと
思ってるんだけど
それ、ムリっ! ってほどに、
私は子どもの頃からそんな感覚で
学校の中のいろんなものと
闘ってきちゃったんだな。
いろんなものを
見てきちゃったんだな。
でもね。
自分を生きるって
そういうことなんだなって思ってる。
いいとか悪いとか、
ダメだとか、
いろんなこと感じながらも
結局生まれ持った感覚は
自分じゃ変えられない、
いやもともと
変える要素なんてなんにもないんだよ。
あなたがそれを持って
生きながら
回すことで
幸せなんだと
授けられたものなのだから。
そんな感覚で自分を生きて、
お母さんやって。
そりゃ、熱いんだよ。
私自身ですら抑えられない、
そんな熱さを抱えているんだ。
だからね。
物事に対応できないことで
崩れることが果たして
「弱い」なんて言葉で
片付けられるほど
私が見てきた、感じてきたことは
そんな言葉でなんて収まらないんだよ。
自分が生きてきた人生
甘く見積もる必要は、ない。
あの日全力で感じていた
悔しさや
悲しさや
嬉しさや
喜びや
それは自分がまんま
あるがままだったからこそ。
時にいろんな役割に応じた
仮面を付けたけど笑笑
そんな仮面ですらも
苦しい苦しいと
もがきながらも
自分、
逃げなかったっす。
なんだろうなぁ。
だから、
教室で
頑張ってるあの子が見てる視点は
やっぱりすごいんだよね。
泣けるほどに
すごいんだ。
生きるを全力で。
教室って教育の場。
それは言い換えるなら
今日生くの場、なんだよね。
いろんな環境、
それぞれの価値観で
育った子どもたちが
毎日を一緒に
過ごしている場所。
そんな価値観のぶつかり合いが
ほんとはめちゃくちゃ
尊いんじゃないだろうか。
今日を生きるを知る場所。
って、先生知ってるかな?
って、お母さん知ってるかな?
そんな場所で
我が子が経験してくること。
全ては尊いものなんだ。
今日もここまでお付き合いくださり
本当にありがとうございます。
そんな教室で
美沙の絵を使って
今こんな授業しています。
よかったらクラファンと
その中の
活動報告を見ていただけたら。
よろしくお願いいたします。