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この世界で働くという事 仕事を通して神と人とに仕える

 今夕のJSUブッククラブでは、ティモシー ケラー著『この世界で働くということ 仕事を通して神と人とに仕える』の第一部「仕事に対する神の計画」1章「神はどのような思いで仕事をデザインなさったのか」を拝読しました。内容は「初めに仕事があった」「神が定められた仕事の形」「仕事の美しさ」「労働と自由」「あらゆる労働には限界がある」です。

 ギリシャ神話の黄金時代では、神も人間も働いていなかった。これに対して『聖書』では、神は「創世記」の初めから働き続け、人類もエデンで働いていた。聖書は、天地創造という「仕事」から始まっており、しかも「6日間働いて、7日目に休む」は、人間の労働と同じである。そして、神も人も楽しく仕事していた。

 堕落したから仕事が生じたのではなく、世界の最初から仕事があった。キリスト「神は今まで働いている、だから私も働く」。生きるために仕事すると思いがちだが、人は生きるために創られている。

 自由とは無制限ではなく、世界の正しい制限を見出す事。自動車などの道具はマニュアルに従い、人間は神法に従う。

 聖書の教えは、仕事の過小・過大評価の両極端に反対している。仕事は必要だが、それだけなら偶像化に陥る。神が安息日に休まれたように、私達も適度に休む必要がある。仕事自体は原罪ではなく、仕事によって自由を得られる。偶像(一時的な存在)に依存せぬためには、人生において最も大切な「神との関係」を築く。

 ありがとう御座いました。


ローマ人への手紙 1:16 わたしは福音を恥としない。それは、ユダヤ人をはじめ、ギリシヤ人にも、すべて信じる者に、救を得させる神の力である。 私は、この福音を少しも恥じてはいません。福音は、それを信じる人をだれでも天国に導く、神の力ある手段です。福音は最初、ユダヤ人だけに伝えられていました。しかし今では、すべての国の人が同じ方法で神のもとに招かれているのです。 わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。 わたしは福音を恥としない。それは、ユダヤ人をはじめ、ギリシヤ人にも、すべて信じる者に、救を得させる神の力である。 わたしは福音を恥としない。それは、ユダヤ人をはじめ、ギリシヤ人にも、すべて信じる者に、救を得させる神の力である。 私は、こ www.bible.com

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